2001年10月28日。NYの世界貿易センターでのテロの影響で、カナダでの滞在延長許可がおりなかった私は、この日、1年7ヶ月のカナダ生活を終えなければならなくなりました。


 「いつかは日本に帰らなければならないのは分かっていたが、今、帰ればもう次があるかどうかは分からない。せっかく覚えた英語も、日本に帰ればあっという間に忘れてしまうだろう。せめて2年間は滞在したかった。現地で仲良くしてくれた友人達とのつながりも、これからどうなるのか。特別なイベントはなくても、彼らとは日々のちょっとした雑用の中のふれあいで、これまで繋がって来られた。遠い日本とカナダでは、そんな日常からも断ち切られてしまう。」


 頭の中にはいろいろな思いがありましたが、外国人の滞在者に対して、北米中が敏感になっていたため、とにかくビザの切れる10月中に出国をすることが、この時の私の仕事となりました。この頃、帰国を余儀なくされた外国人は、かなりの数にのぼったと思われます。「これから日本に帰って、準備をして、5年後にはまたカナダに戻ろう。」私はそう心に誓って、帰国という現実と向き合うことにしました。


 しかし、頭では分かっていても、私はどうしてもこの現実を受け入れることができませんでした。そこで、最後の抵抗・・・ではないのですが、自分の中で区切りをつけるためにも、当時パリの大学院に留学していた弟を頼り、帰路、トロントからパリへと一旦向かうことにしていました。聖歌隊のボランティアで出会い、まるでカナダの両親のように接してくれた、優しいアンドレとブロンが、最後まで私をその大きな懐に包み込んでくれ、アパートを引き払った私を受け入れ、空港まで送ってくれました。

寒さの厳しい、寂しい別れの日でした。


 愛する人たちの住むトロントを発った飛行機は、この日、偶然にも私が最も愛するカナダ東部メープル街道を北上して行きました。涙が溢れて仕方がありませんでしたが、私のカナダ留学のきっかけにもなった、美しいメープルの森を、神様は最後に私に見せてくれました。トロントからセントローレンス川を辿って、キングストン・オタワ・モントリオール・ケベック・・・地上の旅ではあんなに時間がかかるのに、飛行機だとあっという間です。それぞれの街の光を眼下に見ながら、「また戻ってくる」ことを神様に願いました。やがて、疲れた私はすぐに眠ってしまったようです。



★【Yahoo!ショッピング・ストア】「色と光のアトリエ メープルガーデン」
http://store.yahoo.co.jp/ateliermaplegarden

★【自社サイト】「色と光のアトリエ メープルガーデン」
http://AtelierMapleGarden.com


●その他インフォ●

http://kutsulog.net/

http://blog.with2.net/link.php?399632

http://www.site106.com/

http://www.muryoutouroku.com/
http://www.hptouroku.info/muryoutouroku/img/muryou05.gif