皆さん、お疲れ様です(*´ω`*)
新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言が延期になるなど落ち着かない日々ですが、今日は別のお話をさせて頂きたいと思います
今日、5月1日は母の祥月命日になります。
今年はいつもと違い、人に会ったり話したりがないので、敢えてここで母に想いを馳せようかなと思っています。でも、母の死因の詳細や負の感情など、今のこの時期にはあまり目にしたくない事も書いてしまいます。
いつもと違う命日に、私も少し心がザワついてしまったので、敢えて吐き出させて貰おうと思います。気分を害される方もいらっしゃるかもしれないので、そんなものは見たくないと思われる方はここで終わりにされて下さいね

母が亡くなったのは46年前の今日。
私は生後7ヶ月、年子の姉はその月に2歳になる時でした。
死因は風邪を拗らせ肺炎で…
と聞いていましたが、中2の時の法事で事実ではなかった事を知りました。
親戚のおじさんがうっかり口を滑らせて姉に話してしまったんですけど、本当は自死でした。
私が生後3ヶ月を過ぎたばかりの頃、父が仕事ではなく、お手伝いに行った先で転落事故に遭いそのまま他界。まだ幼い子供2人と嫁ぎ先の両親との同居、間に入ってくれていた夫が突然いなくなり、パニックになった母は今で言う鬱病のようになったそうです。
死にたい、そばに行きたいと言う母に、親きょうだい、親戚、お寺のお坊さんまで、小さい子供達の為にも生きてと諭されていたそうですが、実家に私を連れて帰った時、私と1週間違いで生まれていた従姉妹が、弟(私にとってのおじ)に抱っこされてるのを見て泣いた事を、弟の奥さんから咎められたらしく、早々に家に戻り篭もってしまったそうです。
それから1週間後、家の後ろにあるみかん山(だんだん畑)のそばで焼身自殺を図り、母は病院に運ばれ息を引き取るまで苦しんでいたと聞きました。
父は30歳、母は24歳でした。
事切れるその瞬間まで、ずっと父の名前を呼び続けた母は父の元へ行けたのか…
でも、思春期だった私と姉は、そんな母を許せませんでした。
私たちはいらなかったんだ、捨てられたんだと思い込み、ずっと恨み節を唱えてきました。
でも、結婚して自分が母になり、考え方が少しずつ変化しました。
子供は可愛くてたまらない。例え何があっても守り抜かなくてはならない、かけがえのない存在。
そんな子供を置いてまで旅立たなければならない程の悲しさ、苦しさ、辛さ
まだ若かった母には背負い切れなかったのかな、せめて私達が話せるぐらい大きくて、母を慰めてあげられてたら、母の気持ちも違ったのかな…とか
病気と違って、覚悟も決められないまま突然の永遠の別れは、私も耐えられないかも知れない…とか
母が亡くなった24歳
父が亡くなった30歳
この2年間は私にとって恐怖でした。
私も子供達を残して死ぬのかもしれない
事故に遭って、何ものこせないまま、いなくなるかもしれない
こんな事を考える自分は、おかしいのかもしれない…
ホントに後ろ向きでしたが、その1年を越えると気持ちも安定しました。
そして32歳の時、スキルス胃癌を超早期発見して下さった主治医からの言葉
「医者がこんな事言うのはなんだけど、あなたは誰かに護られてるのかもね」
あぁ、母は父の元に行けたんだな
2人が私を生かしてくれたんだな、と素直に思えた瞬間でした。
両親の写真も残っていて、姉はどちらにも抱っこされている写真が1枚ずつありますが、私は生まれて間もなかったからかありませんでした。
ずるい!!と姉にはずっと言っていましたが、その分大きなものを貰いました。
形には残らないけど、忘れられないもの
ちゃんと受け取って、頑張ってます
ありがとう
もうすぐお母さんの倍生きるよ(笑)
お母さんが出来なかった子育てを、家族の団欒を、お母さんの分まで楽しみます
可愛いひ孫ちゃんも、見守ってあげてね
最後まで読んで下さった方、
いらっしゃいましたらありがとうごさいます。
書き出したら落ち着いてきました。
暗い文章だらけでしたが、スッキリしました!