とらのしましま。 -2ページ目

とらのしましま。

なんとなーく、本当なんとなーく書いてみようと思います。はけぐち!!おっと、、、、

7年前の今日、福島から遠く離れた、神奈川県相模原市。

私は、当時地元の自治会長をしていて、任期もあと数日と言った日の出来事でした。

あの日、見たこと、感じたこと。文章にしたことは一度もなかったけど何となく書き留めておいても良いかもしれないなんて思ってみた。

 

あの日、大きな揺れを感じた時、市役所職員さんとたまたま電話していた。

ゆれを感じても「あ、地震ですね。。。」なんて呑気なのはほんの数秒。

「やばいっすね。。。」「後でまた電話します。」と電話を切り、外へ。

 

その時まで自治会長なんて言っても、流れに任せてなんとかやる事やっていたみたいな感じだったけど、あまりの揺れに家族の無事を確認してから地域の様子を伺いに見回りへ。

 

余震。アスファルトは波打ち高層ビルが揺れている。。。まじかよ。。。と思いながら

地域をウロウロ。どうやら停電している模様。お年寄りだけの家を回り無事を確認しながら。

何件まわったかなぁ。忘れてしまったけど幸いな事に皆さん無事。怪我をされた方もおらずだったが、停電のために電気が無く大丈夫か?などと思いながらも、何もできないもんだ。。。と思ったりして。

 

何時頃だったか、道を歩いていると大きな声で

「会長!」

振り向けば家の中から、会員さんが

「飯食ったか!」

そういえば、飯。。。くってないな。。。

「食ってないっす~」

「食ってきなよ!電気ねーけど、おにぎりあるよ!」

まじかよ。。。当時の私はまだ30代前半で、相模原つっても地域のつながりなんてたかだか知れたもんだし、会長になったのだって順番が回ってきただけだし。だるっ。

てなもんだったのだが。。。

 

自治会なんて正直いらねーだろ。とか訳の分からない事を思ったりしていたのだが。。。

間違いなく必要です。自治会。

と同時に、正直ほっとしたのを覚えています。あの時のおにぎりうまかった。

 

そんなこんなうろうろしながら、小学校の前に来た時。あれ?避難してる?てか避難所になってんじゃん!自治会長はこんな時真っ先に避難所へ行けみたいなことが何かに書いてあったような。。。とりあえず、小学校へ。この時は本当に何の気なしに、危機感も薄く(←後に激しく反省)どんな感じっすか?くらいな気持ちでした。

 

ちょうど避難所が開設されたばかりで、帰宅難民さんメインで体育館には続々と人が集まっていました。やばそうなんだが。。。こんなに避難する人いんのかよ。。。と思いながらひとまず校長先生の有無を確認しに職員室へ。

 

廊下で、校長先生。

「あ!来てくれたんですね!誰も来ていただけなくて。。。職員だけでどこまで。。。助かります!」

「あ。。あ。。はい。。」

「緊急用の市役所との直通回線も通じなくて。。。」

うっそーーーん。チェックしとけよぉ。。。うちの子だって通ってんだぞ。。。頼むぜ。。。

 

そして。。。なんだ。。。なんなんだよ!誰も来てねーのかよ!

地域には何人かの自治会長がいたのですが、どうやら私一人避難所に来たようで、校長先生のその言葉を聞いて、やらねば。。。やらねばならん。。。

 

個人的には結構のんびりとした性格で、やべぇと思いつつも相模原だし、停電だってそのうちなおんだろぉと危機感なんてまるでないアホまるだしおっさんだったのですが、時間が経過するにつれて、本気でやんないと本気でやばいんだこれはと気づいた瞬間でした。

 

避難所で必死に不安と闘いながら、子供たちや地域の人のためにできる事をやってくれている教職員の皆さん。今思い出しても涙がこぼれそうになる。

 

あの日避難所で見た光景。人々。決して忘れる事はない。

結構適当に生きてきたけど、今も生きているけど、あの日みた人間っていう生き物の本性と逆に人間ていう生き物の温かさは忘れられない。

 

体育館では、避難してきてる人たちの人数確認をしながら、毛布配ったり、自治会館から避難物資だしてきたり、近所の自治会員さんにヘルプ頼んだりとにかくバタバタ。

 

そんな中一人の女性が、建物の中におばーちゃんがいるはずなの、見てきてくれないかしら。

その方は足が悪く、地震でエレベーターが止まってしまってどうにもならないご様子。

誰かに助けを求めたいが、誰が誰やらだったようで、それっぽい私に声をかけてきみたい。

「どの建物ですか?」

指さす先は高層マンション。。。まじか。。。

「何階ですか?」

「15階の。。」

正直、私そんなに人助けなんてするほど優しさ見せて生きてきていませんが、いくしかねぇ。。。ばーちゃん。。。頼むぜ。。。と思いながらダッシュ!階段もダッシュ!

ピンポーン

「はーい」

「はぁ。。はぁ。。。おばーちゃん。。。娘さんが避難所で心配してっから。。。無事でよかった」

 

この時には相模原は大分揺れも収まっていたのと、流石に階段は無理っぽい感じだったので

お隣の家の方がいらっしゃたので、何かあったら避難所へといって避難所へ戻り、その女性に、おばーちゃんの無事を伝えに戻ることに。

「はぁ。。。はぁ。。。おばーちゃん無事でしたよ。。。お家も大丈夫みたいでした。。。はぁ。。」

「ありがとう!本当に心配で!電話もつながらないし。。。心配で。。。」

「よかったっす!お役にたてたらそれでいいっす」

自分がこんな事いうなんて思いもよらなかったけど、その時は本当にそう思ったのです。

 

電車もがっつり止まってしまって避難所には、数百人。。。とりあえずもう入りきらないので警察に報告しがてら電車の様子みにいったり、毛布もたりないし、発電機の灯油も足りない。

こりゃ、役所行ったほうがいいな。。。と思い近くの出張所へ。

 

地元の役所の出張所は商業施設に入っているタイプだったのですが、ビルの下まで来たところに。。。たまっとるやないか!職員さん達!

おーーーーいなにしとんねーーーん。と思いながら

「ど、どうしたんすか?」

「ビルから出ないといけない決まりみたいで。。。」

そんなもんそうにきまっとんだろうが!と謎の怒り爆発。

「なんもできないの?市役所に連絡とか。。。できないの?」

「つながらないんです。。。緊急回線もビルの中で。。。」

あほか・・・。と思いながらそんなしてても仕方ないので。。。

あ。そういえば、昼間電話してたの防災課の人だった!と思って携帯ダメ元でアタック。

繋がったぁ!

とりあえず、数分話して、状況確認。市内で停電しているのは一部だったことと、発電用の燃料と毛布を避難所に配っている最中なので、しばらくしたらこちらにも物資が回ってくる事を確認。

なんとかなりそうだ。。。

 

日が暮れて、避難所では様々な人間模様。

停電しているので、もちろん体育館は真っ暗、足元も怪しいので、自治会館から持ってきた懐中電灯で足元をてらしながら、避難してきた人を誘導していると。

 

ある家族が。

「空いてますか?」

「なんとか。。。とりあえず、空いているところ探しますね。」

「・・・・」

三人家族がなんとか座れそうな隙間発見。

「あの辺ならあいていますので、どーぞ」

「はぁ」

足元をてらしながら、移動。低学年であろう女の子はおびえてお母さんにしがみつきながら。

「ここです。」

そのときである。父親らしき男というか父親だろうが。

「その懐中電灯、貸してください。」

「え?いや。。みなさん我慢されているので。。。すいませんが。。。」

「ちっ、貸してくれないのかよ。」

「は?」

こんなやついるのか。。。信じられませんでした。

てか、子供いるならちゃんと避難グッズ用意しとけよ!父親だろお前?

お子さんいたのでさすがに、キレはしませんでしたが、心では、うちはきっちり用意しておこうこれからも。。。こんな大人単純に嫌だわ。。。などと思った記憶があります。

 

かと思えば、暗がりに爆音響かせて、暴走族の皆さまも避難所へ。

「あいてる?」

かなりぶしつけな言い方だったけど

「空いてないんだよ。。。あっちの小学校あいてるらしいけど。。。なんとか。。。」

「OK、いいよいいよ、俺ら何とかなっからさ、ほかの人入れてくれよ」

「だいじょぶ?」

「なんとかするっしょwな?」

「そーだな、なんとかするわ!じゃぁな、おにーさん。」

おまえら、なんで暴走してんだよwいいやつじゃん!

とか思ったり。

 

こそこそ、なんかやってるやついるなーと思ったら、発電機から携帯充電してるやついたり。

「なにやってんの?」

「充電」

「みんな我慢してっからさ」

「なんで?」

「ただでさえ電気の燃料ねーんだわ」

「そーなんだ」

こいつよぉ。。。空気読めよ!めんどくせぇ。。。

「そのまま、充電してたらぶっ壊れるよ?携帯」

「うそ!」

「ほんと」

「やべ!」

やべぇじゃねーわ。。。

まぁこんなこともあるか。。。などと思ったり。

 

入口でもめてるなぁと思って

「どうしたんすか?」

「この人が、歩いて帰るって。。。」

「近いんすか?」

「○○。。。」

めっちゃ遠いじゃねーか。。。スーツにローファーで。。。無理っしょ。。。

止めても、絶対帰ると言い張る男。

何があるんだよ。。。てかあぶねーだろ普通に。

結果知らない間に姿を。。。マジ勘弁してください。

とかとかとかとか。

 

良いとか悪いとかじゃないとは思う。

自分の事が一番大事なのもわかる。

けどさ。。。けどね。。。って思ったり。

 

朝方、停電も解消されて避難所からも人がいなくなり。

 

TVをみたらとんでもない事になっていて。

他人事では済まない現実を感じて。

なんだかんだ。

 

今。自分はちゃんと生きているのだろうか。

一つ思う事は。優しく生きていこう。

被災された方々の想いは、多分、私なんて想像できる物ではない。

何をできたわけでもない。

でも、遠く離れた相模原に住んでたって他人事じゃ済まされないって改めて思う。

大好きな人と大好きな時間を過ごそう。

ただそばにいて、ただ手をつないで、わらってそんな人達と過ごしていたいものです。

 

明日はあって無いような物だ。って事を思い出そう。だから毎日楽しんでいこう。

そして、優しく生きていこう。

 

ほんとがらじゃないけど。そう思う。

 

※その後

相模原市では、緊急回線などのチェックも兼ねて避難訓練は全市の学校一斉に行っています。商業施設にあった区役所も専用の建物へ移動し、現在では当時の教訓が生かされているようです。ご報告。