生きるために藻掻いた傷と、死のうと思った躊躇い傷は余りにも違う。


テレビで公表して、雑誌で公表して、ふざけんなよ。




勇気を出した告白だと?


ふざけるな。





あぁ、気分悪…。



じゃ。
 
 
 
私が感想なんて語っていいものかと思っておりましたが…。
 
 
 
 
さすがに解禁しようかと思って。
 
 
 
 
 
 
ひとことで表すなら、
 
『恐怖と罪悪感』
 
 
これに尽きる。
 
 
どんな思いで過ごした10年間だったのか。それを巻末以外に文字を使わずに伝えてきた写真集。
 
 
 
怖くてまだ2回開いただけです。
 
 
 
あれだけの写真の全てが、ビリビリと伝えてくる。
 
 
お芝居をしている映像と比べて見ると、どうしてか写真の方が痛いくらいに伝えてくる。
 
 
動きに表現できない分なのか、全身から。
 
 
 
 
ばくさんは凄い。これをファインダー越しに見続けていたのかと思うと頭が下がる。
 
 
とにかく息を忘れる。
 
 
語彙力に乏しくて私には表現しきれない。
 
 
美しいとか可愛いとか、格好良いとかそんな言葉じゃ失礼なんじゃないかとさえ思う。
 
 
 
そして巻末の直筆のあの文章。
 
 
申し訳なくなった。
 
 
あの文章だってそんなに長文じゃない。
なのに10年の思いが、詰まっている気がして。
 
 
 
彼は『血の滲むような努力』じゃなくて、文字通り『血の滲む努力』を重ね続けて来たのだと思う。
 
私も“がんばれ”が怖い時期、あった。
正直に言えば今も怖い。
他人にとっての“あと少し”は私にとっての“気の遠くなるような時間”だから。
 
 
 
だけど、私は彼のように『血の滲む努力』をして来ただろうか。
 
 
 
答えは否。
 
 
 
しているつもりで、逃げてきた。
『血の滲む努力』の代わりに、自分の手首に血を滲ませただけ。
 
 
 
 
“つもり”なんてしてないも同然。本当に『血の滲む努力』が出来て居たなら、彼のように誰かが手を伸ばしてくれただろう。
そして彼のように素直に受け取ることもできたかも知れない。
 
 
私は全て、疑って過ごした。
それは彼と同じ、10年間。
 
 
だけど『血の滲む努力』ができていない私は彼のように素直に生きることも成長することもできてはいない。
 
 
ただ、自分さえ疑って生きているだけ。
 
 
彼の文章を見て、努力を怠ってきた事実と、そのくせ今日まで生きていることに罪悪感を覚えた。
 
 
詰め込まれた彼の10年間に、何があったのか、詳細は知らない。
 
 
だけど彼ほどの努力をすれば、神は見捨てはしないのかも知れない。
 
 
 
絶対の愛情をくれる“渡部秀”に“三浦涼介”が出会えたのは、彼自身が掴み、手に入れた運命なのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
20年間虐められ続けて、ただ捻くれているわけにも行かないだろうと言われた気がする。
 
 
努力は事実、報われるのだと彼が全身で伝えてくるから、彼を信じて生きることにする。
 
 
そのためには、私も仕事はきちんとこなす。
彼の活躍も、期待して見続けて行きたい。
 
 
 
 
最後に、感想をひとことで表すところにひとつ加えさせてもらいたい。
 
 
 
それは、
 
『感謝』