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Just a Runaway

現実逃避上等の廃人が思ったこととか何かの感想とかを自分の記録用に書くだけのブログ。





 木根さんのアルバムに『REMEMBER ME?』ってありますよね。哲哉がプロデュースしたやつ。
 その中に収録されてる曲で「Close to the night」ってあるんですけど、元々は大賀埜々さんに提供した曲で、それを木根さんがカバーした曲、だと思います。逆だったらごめんなさい。

 で、作詞作曲とも木根さんと哲哉の共作にはなってるんですが、大賀埜々さんのバージョンと木根さんのバージョンの歌詞が結構違うので考察することにしました。



 まず、大賀埜々さんの方。
Close to the night / 大賀埜々


 続いて木根さん版
 Close to the night / 木根尚登


 
これだけでも大幅に歌詞の改編が入っているのがよくわかります。
 では、違う部分を詳しく見てみましょう。



 このまま笑顔見せずに
 自由の身になるのかな
 出会ったときも同じで
 目も合わせずうつむいてた

 大賀さんのバージョンは、歌いだしの時点で既に別れの予感を感じさせます。
 お互い何かを含んだ、何かにおびえる者同士が出会ったのか、はたまた彼女だけが何かを怯え震えていたのか。そこは後々考えていくことにしましょう。
 しかし、このフレーズからは恐怖や孤独を感じますね。



 始まりはいつも孤独で
 孤独は自由の裏返し
 自由を分かち合いたくて
 求める夢に擦れ違う


 続いて、木根さんバージョン。こちらは最初から「孤独」と言ってしまっています。
 その次にくる言葉が「自由」。
 「孤独は自由の裏返し」ということは、お互い目指すものがあり、そこに向かってあるがまま、思うが儘に進んでいるのかもしれません。それゆえ、ふとした瞬間、何気ない瞬間に孤独を感じるのでしょう。その孤独を感じるもの同士が惹かれあったのでしょうか。
 最後の「自由を分かち合いたくて 求める夢に擦れ違う」という部分が、同じ孤独を感じる者同士なのに分かり合えない切なさを醸し出しています。



 空に輝く星座は
 夜に生まれた私の
 明日を照らす道しるべ
 今日は曇って見えない

 
大賀さん版。どうやら大賀さん版のClose to the nightの主人公は夜に生まれたようです。
 いつもは空に輝く星座を見上げ、何か決心を固めていたのかもしれませんが、この時は星座は曇っていて見えません。
 道しるべが見えないということは、自分自身どうしていいのかわからない霧の中にいるのでしょうか。どうしていいのかわからなくて、立ち尽くしている。けれど、孤独ゆえにだれにも頼ることができない。
 逃れることができない孤独が、常に彼女の隣にいるのかもしれません。



 そらに輝く星座は
 夜に生まれた者への
 明日を照らす道標
 どこまでも信じていたい

 
木根さん版は、「私」が「者」になり、「今日は曇ってて見えない」が「どこまでも信じていたい」に変わっています。
 大賀さん版の見えなくて戸惑っている女性に対し、こちらは見えなくとも信じていたい、という強い気持ちが見えます。
 このあたりから、木根さん版の「Close to the night」は男性目線の局であることが見えてきます。



 日だまりは想いが隠れる
 温もりさえ気にしなくなる
 夜を迎えてふるえ囁いてく
 風のように... 鳥のように...


 日だまりとは、そもそもどういう意味でしょうか。辞書で調べてみました。
 日だまりとは、「日光が当たる場所」を示します。また、漢字によって意味の使い分けができ、「日向」なら、日光が当たる場所を広くいい、「日溜まり」の場合は、特に日光がよく当たって暖かくなっている所をいうそうです。そして、「日溜まり」と書くと、冬など日光の比較的弱いときに用いられることが多いとか。
 今回は「日だまり」の「だまり」の部分がひらがななので、一つに意味を絞ることはできませんが、上記の意味をすべて含んでいる、ととらえてもいいと思います。

 問題は「日だまりは想いが隠れる」です。これはどういうなのか。
 日光、つまり強い光の下では、すべてのものが照らし出されます。その一方で、影はより色濃く落ちます。その陰の中に、想いも、孤独も、何もかもを隠してしまったのかもしれません。夜になれば影ごと夜闇がすべてを隠してしまいます。そこまでしてでも、想いを、孤独を隠す必要が彼女にはあったのでしょうか。

 そして、「温もりさえ気にしなくなる」、これを「日だまりは想いが隠れる」の部分とリンクさせましょう。日だまり、つまり日の下では当然太陽の光が直接体に降り注ぐわけです。その太陽の光の温度と、自分に触れる人の温もりが同じ温度に感じ、また混ざってしまっていたとしたら。どの温度が誰の温度なのか、温もりなのかがわからなくなる。
 つまり、自分が誰かに引き止められていることに、自分を引き止めてくれる温もりに気づいていない。
 そうだとしたら、その温もりに気づかないまま夜を迎え、夜に恐怖を感じ、震えているのなら、なんと寂しい事でしょう。
 孤独ゆえに、自分に手を差し伸べてくれる温もりに気づかない。
 一見歌詞の中だけの出来事のように見えますが、決してこれは歌詞の中の出来事ではなく、自分の周りでも起こりうることではないでしょうか。

 しかし、ここまで大賀さん版を読み解くと、どうも彼女の独りよがりに見えてしまいます。



 引き寄せた白い腕の
 温もりさええすりぬけてく
 ドアを一度開けたら逃げていく
 風のように鳥のように

 
木根さん版の同じ部分の歌詞です。
 木根さん版「Close to the night」の主人公は、逃げていく女性を引き止めようとしています。それでも、彼女の腕はするりとその手をすり抜けていく。そのチャンスを一度でも逃せば、もう二度と彼女を引き止めることは、捕まえることはできない。
 まるで、交差点の交わる中心部分で、反対の流れに乗った者同士が手を伸ばしあったようですね。人波に逆らうことはできず、手をつかむことができなければ、そのままどんどん対岸へ体は流されていきます。
 結局この曲の男性は、彼女の孤独を包むことも、そこから逃がしてやることもできなかったのでしょう。



 つなぎ止めてる夜が2人を
 こわくて朝まで眠れなくて
 君との出会い君の愛しさ
 みんな夜に近づく

 この歌詞(サビ)は共通です。
 2人をつなぎ止めるのは、夜だけ。孤独を覆い隠すと同時に増幅させる闇が降り立つ、わずかな時間だけです。
 夜の闇に恐怖を感じているのでしょうか、それとも永遠に朝が来ることはなく、夜の闇が支配してしまうのではないか思っているのでしょうか。光ひとつない闇はどこまでも深く、重たく、安らぎを与えてはくれない。
 そう思う彼女と、男性は夜であったのかもしれません。夜におびえる彼女と出会い、愛しく思う。すべての思いは、心は、夜、少しずつ近づいていく。
 書いていて恥ずかしくなってきました。



 夏の終わりと同じで
 気配を感じる頃とか
 夜に近づく私と
 どこか少し似ているね

 
夏の終わりに感じる気配。皆さんは何を感じますか。
 答えは様々ですが、哀愁という答えが多いかもしれません。
 夏は朝から晩まで騒がしいですよね。昼はセミが鳴いていて、平日休日問わず、どこからか子供の声が聞こえてきます。夜もなぜか騒がしくて、空は闇夜というよりは薄暗い、青みを帯びた闇が広がります。
 しかし、夏の終わりはそんな喧騒が打ち寄せた波にさらわれるように引いていきます。日本人独特の感性に「寂」という美感がありますが、ちょうどそんな感じでしょうか。
 彼女もまた、夜に向けて波にさらわれていくような寂しさを感じているのかもしれません。
 それがこれまで何度も書いてきた「孤独」や「恐怖」なのか、と言われると少し違う気はしますが。



 歩き始めたあの頃
 涙の意味も分からずに
 手さぐりで夢追いかけ
 暗闇で君を探してた

 
歩き始めたあの頃とは、彼女と出会った頃の話でしょう。
 彼女はきっと、夜を迎えるたびに泣いていたのだと思います。彼はその涙の意味が、夜への彼女の思いがわからなかった。
 「手さぐりで夢追いかけ 暗闇で君を探してた」というのは、俗にいう二兎追う者は、のようなものでしょうか。夢を追いながらも、孤独の中で、夜の闇の中でひとり怯える彼女の心の内を探っていたというか、彼女の真意を探していたのかもしれません。



 あなたと触れていたい
 だけど秘めた思い 見せない
 今度の夏が来る頃街角で
 出会いたい... もう一度...


 
え、秘めた思い見せればいいじゃん!
 と突っ込みたくなりますが、彼女には彼女なりの考えがあるのでしょう。でも、あなたと触れていたいなら(ry
 最後に 「今度の夏が来る頃街角で 出会いたい...もう一度...」と言っています。別れを決意し、その一方でもう一度巡り合いたい。そう、一見都合のいいことを言っているように聞こえるフレーズですが、なんだか筆禍るものがあります。
 「夏」と限定しているのはなぜでしょうか。
 ここで、最初から歌詞をざっと見返してみると、一つの仮説が浮かびます。
 彼女と男性が出会ったのは冬の夜。
 そして、彼女が怯えているのは冬の夜。
 体を凍てつかせる空気。墨よりも黒い夜。星は夏よりはきれいに見えますが、雲がかかれば夜は一瞬で闇夜へと姿を変えます。夏と違って音のない、静寂と闇が支配する夜が、彼女はこわくて怖くてしょうがなかったのではないでしょうか。だからこそ、孤独な闇夜に怯え、温もりに気づかないほど恐怖し、部屋の片隅で自らの体を抱えていたのかもしれません。
 反対に夜でも闇になりきらない夏なら、もう少しちゃんと男性に向き合えるかもしれない。
 そういう、わずかな祈りが込められているのでしょうか。
 


 抱きしめた君の朝に
 僕の夜がすりぬけてく
 ドアを一度開けたら逃げていく
 風のように鳥のように

 
対して木根さん側。
 「抱きしめた君の朝に 僕の夜がすり抜けていく」。皆さん、月の恋の話をご存知でしょうか。
 月が太陽に恋をして追いかけるんだけど、太陽は逃げてしまうから月は太陽に追いつけず、叶わぬ恋心に泣く話です。実は太陽もまた月を愛していて、月を追いかけているのですが、太陽が追えば追うほど月もまた逃げてしまうというすれ違いの話です。
 なんだか、その話を彷彿とさせる切ないフレーズです。朝と夜は決して交わることはありません。そういう2人を示しているようで、切なくなってきます。



 
 誰もわからない答えが見つからない
 夜は隠し事が闇に消え
 それぞれお互い助けられてる2人がいる
 lonely lonely loneliness

 支えきれず投げたしたくても
 何もかも捨てるのは楽でも
 あの曲がり角をいつも奇跡を
 信じて歩いていく

 
最後のサビ前は既出なので割愛。
 最後のサビです。
 「誰もわからない答えが見つからない 夜は隠し事が闇に消え」と来ます。今までの歌詞の集約のようですね。
 「誰もわからない答えが見つからない」、見つからないのは、きっと彼女の想いであったり、孤独であったり、とにかく必死に彼女が隠そうとしているもの。つまりは彼女自身にしかわからないものです。彼女は自分の想いを、日中夜隠し続けています。「夜は隠し事が闇に消え」は前述したとおり。
 「それぞれお互い助けられてる2人がいる lonely lonely loneliness」は、きっとそのまま。なんだかんだ言って、お互いがお互いの存在に助けられてる。けれど、彼女が抱える孤独、男性が抱える孤独、分かり合えない部分が、肝心な部分がすり寄ることができなくて、寂しくて、切なくて、孤独は増幅されいくばかり。
 きっとそんな感じだと思います。


 最後の最後にいきましょう。
 突然ですが、私が初めて聞いた「Close to the night」は木根さん版で、未だに木根さん版しかまともに聞いたことがありません。そして、この曲を聴いていた時、違和感を感じた唯一の部分がここです。
 哲哉作詞だからしょうがないよ!って言われたらそれで終わりかもしれませんが、木根さん版の歌詞では、最後の「支えきれずに~」の歌詞の登場が突拍子すぎるのです。何の脈絡もなく突然出てきます。前後のつながりが無さ過ぎる。
 この比較考察をしようと思ったのは、最後のサビの違和感が原因です。

 そんなどうでもいい情報はよしとして。
 「支えきれずに投げ出したくて 何もかも捨てるのは楽でも」。投げ出したくなったのは自身が抱える孤独か、はたまた自分を想ってくれる人か。どちらを差しているのでしょう。どちらも指しているように受け取れますが、次に来るのが「あの曲がり角をいつも奇跡を 信じて歩いていく」なので、想い人ではないかと思います。



 最後のサビの考察は少し緩めにして、全体をまとめましょう。
 この曲では夜を全面的に押し出しているところから考えると、やはりキーワードは夜。タイトルも夜ですしね。それから孤独、寂しさ。そういった感情。
 「Close to the night」と銘打っていますので、この曲の中の2人の話は基本的に夜進行するのでしょう。夜を迎えるたびに少しずつ心に、本心に、核心に近づいていく。けれど、夜はそれを隠してしまうから、近づけたとしてもそれを垣間見ることはできない。
 結局分かり合えることはできず、やってきたのは別れ。分かり合えない孤独を抱えたまま、2人は別れます。が、最後の「あの曲がり角をいつも奇跡を 信じて歩いていく」というフレーズが言うように、2人はもう一度出会うことを望んでいます。
 木根さん版はこれが突然出てきたらから「はえ?」ってなりましたが、大賀さん版と読み解いていくとよく意味が分かります。


 特に深いところまで突いたわけではありませんが、こういうことなのでしょう。
 別れを選んだ2人が再び出会えたかどうかは知りません。ですが、今度は柔らかな光の注ぐ、太陽の下で出会えることを祈りたいものです。





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