不真面目、無責任であることの重要性というのは

ある一定の環境下で発生するのではないか。

そんなことを考えてしまうほど、

なんだかやるせない時もある。


真面目、責任感というのは

人を追いつめる。


勘ぐった考え方をとれば、

支配者層が奴隷的身分の人々を

都合良く使うために

開発された概念では?と。


責任をとる、真面目に働く

とか、

いかにも

奴隷的な発想な気がする。


責任って、

そんな簡単なものなのか。

自己責任とか、

人のせいとか、

なんか簡単に責任、責任言い過ぎではないか。

神様でもあるまいし。


真面目な人ほど、

責任感の強い人ほど、

自分を追いつめ、

最悪な場合死に至る。


「責任」とか「真面目」とか

概念に殺されている。


自殺するという段階にいってしまうと、

もうあまり思考回路も明晰なものではなくなっているのだろうと思う。

精神的、身体的なところから「自殺」というものが

手に負えなくなってしまうのだろう。

要するに、生きているよりも、死んだ方が

楽になれるといった心境だろうか。

わからないでもないが、

その辛さはその本人にしかわからない。


真面目、努力、責任感、忍耐、

いろいろと幼少期より刷り込まれてきた概念って

奴隷製造概念にもなりうるなって思う。

結局自分を苦しめる。