暑くて長い夏が過ぎ、気づけば10月も半ばです。

細々とブログを続けてみようと始めたものの、手が止まるとあっという間に時間が過ぎていく。

 

空白の間に、義父が亡くなって葬儀や法要があったり、20年ぶりに海外旅行に出かけたり、大学卒業以来の友人たちと集まったりと色々ありました。

 

50歳をテーマに日々を綴る、などと軸をきめたものの、もうすぐまた一つ歳をとる。

本当に時間がたつのが早いなと感じる今日この頃。

 

同時に、自分が、あまり「深く考える」ことをしなくなったとふと思うのです。

学生のころ、気の合う友人と、それこそ一晩中でもいくらでも話をしていた。

とりとめのない話、恋愛の話、だけにとどまらず、もっと深い話?

自分が今何を考えていて、どうありたいか、どうしてそう思うのか、何に心が動かされるのか、といったような。

いや、そんな具体的なテーマを持って議論していたわけではないけれど、自然といろんな話をしていた。

そして、その時間がとても大事だった。

 

今、日々の「やるべきこと」に追われ、タスクをこなし、夕食や弁当の献立を組み立てて買い物して料理を作り、子供や夫の日常会話を聞き、提出物を忘れただの、大谷が打っただの、明日までに洗濯しておいて、だのという会話に終始している。

 

同僚やママ友とだって、仕事の相談や愚痴、子供の成長がどうとか塾や病院や近所の新しくオープンしたお店の話。

 

そこに、自分の心の在り方、とか、どう生きるか、なんていう話はない。

 

 

そういう日常が続いていると、考えなくなるのだ。

年齢的なものなのかな。

若いからこそ、自分とは何か?とか考えちゃうのかな。

 

 

 

 

でも、先日ふと、あるママ友と話していて、あ・・、と琴線に触れたような感覚を覚えるときがあった。

そういうたぐいの話をしているな今、と。

 

誰とでもできる、当たり障りのない話ではなくて、「思い」が入った言葉のやりとり。

なぜそう思うかという彼女の心の在り方が伝わってくる。

そういう話ができたときの、美味しい水を飲んだような感覚。久しく忘れていた。

 

ちょっとの時間だったけれど、貴重な時間だったな。

また彼女と話したいなって思う。