アメリカ人で、広島・長崎への原水爆投下をアメリカの過誤だったというものはいません(稀です)。                         

問われれば、残念ではあったが必要だったのだと子供でも利口そうに答えます。あの時、日本に戦争を止めさせるためには必要だった、と当然のように言うのです。学校教育の賜物で、そのように学び、日本にとってもベストだったのだと刷り込まれているのです。戦争を知らない世代に替わった今では、それがアメリカの大戦史になっていて歴史観にもなっているのです。


アメリカ合衆国、第五代大統領、アブラハム リンカーンは奴隷解放という偉業でワシントンのリンカーン記念館に六メートルの巨像となって鎮座しています。誰でも知っている観光名所です。


リンカーンは1860年の大統領選挙で、奴隷解放運動側に与して選挙戦を戦い勝利したのですが、大統領に就任すると、奴隷解放をすぐさま政令化して何とかしようという熱意はなかったようで、公約遂行を急ぐ様子はなかったそうです。リンカーン支持者の多くも奴隷解放は選挙時のスローガンに過ぎなかった、とまるで景気回復を公約にする今の政治家さながらだったのです。


選挙の中心的な役割を果たしていた支持者の一人、ジョージ テンプルトン ストロング氏(弁護士)は日記にこう書き残しているそうです。


「奴隷の所有は必ずしも罪悪とはいえない、良い面もある。現に南部諸州の奴隷達は北部の自由黒人に比べて優遇されてよい生活をしている、幸福にさえ見える、奴隷解放論者は感情的で愚かしく、偽善的で、非キリスト教的でさえある」・・云々。


奴隷解放を旗印に選挙を戦った幹部のひとりがこういう認識だったので、リンカーンの選挙区、ニューヨークでは、選挙中も選挙後も住民の大半が奴隷解放にはむしろ反対だった、といわれています。主な理由は当時のニューヨーク住民の大半がアイルランドからの難民であり、その他ユダヤ人など極貧階層が多数派だったため、先住の解放黒人(自由民)との間で低賃金仕事を奪い合うライバル関係になっていたのです。このうえ奴隷解放で黒人がどっとニューヨークに押し寄せて来るのは何をおいても防ぎたかったのです。


ニューヨークの主な新聞の論調も(奴隷解放のため)国が南北に分かれて戦うなど馬鹿げているとくり返し書いていたそうです。しかし、開戦の契機は南部十一州のほうにリンカーンの大統領就任という危機意識が先行して行動を起こしたのです。南部の十一州が南部連合国となり合衆国からの独立宣言をしたのでした。


北部22州のほうはまとまりが悪く、奴隷解放という肝心なテーマでさえ温度差があって戦争に至る大義にかけていたのです。


ニューヨークの多くの新聞は選挙後もしばらく論調を変えませんでした。奴隷制を許しがたい罪とは誰も思ってはいない、奴隷制廃止論者は頭のおかしい一部の人間に過ぎない・・云々。当時のニューヨークの世論の大勢は、北部が南部の独立を認めて戦争は避けるべき、といういうもので、まとまりのない世論のなかで奴隷解放運動はほだ火のように消えかけていたとも言います。


しかし、戦争は南部が口火を切って始まりました。開戦は1861年で1865年まで4年間続く、独立戦争以来初めての熾烈な内戦となったのです。南部十一州は南部連合国として南軍を編成して一挙にニューヨークに攻め入って初戦を飾っています。彼らは動機が明確なだけに圧倒的優勢で、時を置かずニューヨークを支配下に納めたのです。ニューヨーク住民はむしろそれを歓迎していた、と報じた新聞もあったそうです。


奴隷解放を国家として法制化したのはリンカーンですが、それを最初に実行したのはリンカーンがではなくキリスト教会だったようです。南北戦争以前に、奴隷解放運動はすでに進んでいて、多くの黒人が解放され、ニューヨークなどではかなりの人々が自由民として生計を立てていたのです。


南北戦争の前に、ニューヨークで白人上流階級の人々に「尊敬すべき黒人」といわれた人物がいたそうです。トーマス ダウニングという名前で、ニューヨークのブロードウエイで牡蠣料理店を数店舗経営しいた成功者でした。店は政治家や経済界の重鎮達も立ち寄る有名店で、ダウニングは客達に愛されていたようです。


彼の両親はヴァージニア州の農園で奴隷でしたが、同名のダウニング農園主がメソジスト教会に参加する折、教区の牧師が奴隷所有者は正会員にはなれないと諭し、その趣意に従って農園主は所有の奴隷すべてを解放したと記録にあります。話が長くなるので一例に留めますが、このように奴隷の解放はキリスト教会の確信的な人道主義に基いてかなり進んでいたのが事実のようです。


ちなみに。現在最も人権に(うるさい)イギリス人は、当時はその反対で奴隷解放に消極的だったようです。南北戦争終結時、南部で解放された黒人奴隷の多くがイギリス軍が集結している港(カロライナ州)に(北軍と間違えて)渡船を求めて集まった時、イギリス海軍は黒人達を軍艦に収容してニューヨークに連れて行き解放する、かに思わせて、その実、無情にもまだ奴隷制度がゆるぎなく存在していたカリブ海の島々(ハイチ)などのイギリス人経営のサトウキビ農園に引き渡したと記録に残されているということです。