白鳳時代に建立された、垂水廃寺。この白鳳寺院と養老年中に流行した疫病に端を発し、かつては、上毛郡【現・豊前市、上毛町、吉富町】と下毛郡【現・中津市】を中心に、近隣の参詣者でにぎわった瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごすてんのう)。現在は、八坂神社と改称され親しまれています。
[所在地]
福岡県築上郡上毛町大字垂水字向648番地1 [地図
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[御祭神]
○瀧ノ宮牛頭天王(八坂神社)
素盞鳴尊(すさのをのみこと)
五十猛尊(いそたけるのみこと)
奇稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
足摩乳命(あしなづちのみこと)
手摩乳命(てなづちのみこと)
田心媛命(たこりびめのみこと)
湍津媛命(たきつひめのみこと)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穗日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野樟日命(くまのくすびのみこと)
[境内社]
○貴船宮【垂水字貴船畑より遷座。台風による倒壊に伴い八坂神社に合祀】
高淤迦美神(たかおかみのかみ)
闇淤迦美神(くらおかみのかみ)
闇罔象神(くらみつはのかみ)
八將神
・太歳神(たいさいじん)
・大將軍(たいしょうぐん)
・太陰神(たいおんじん)
・歳刑神(さいぎょうじん)
・歳破神(さいはじん)
・歳殺神(さいせつじん)
・黄幡神(おうばんじん)
・豹尾神(ひょうびじん)
○皇大神宮遙拜所【老朽化に伴い八坂神社に合祀】
八重言代主神(やへことしろぬしのかみ)
天兒屋神(あめのこやねのかみ)
○祓戸神祠
瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)
速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)
○稻荷社【垂水字水田より遷座】
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
○蛭子社【垂水字屋敷より遷座】
蛭子神(ひるこのかみ)
瀧ノ宮牛頭天王は、日本根子高瑞淨足姫天皇(やまとねこたまみづきよたらしひめのすめらみこと)【元正天皇】の御宇、養老年中(717年~724年)、この地に疫病が流行した時、播磨國餝磨郡【兵庫県姫路市】の廣峯神社より疫病鎮守のため「垂水廃寺」の境内に勧請し祭祀したのが始まりと伝えられています。
以来、「瀧ノ宮牛頭天王」として親しまれ、「垂水廃寺」の衰退にともない現在地に遷座されました。「垂水廃寺」は、上毛町役場・南吉富小学校付近にあったとされる白鳳寺院で、8世紀後半まで存続していたとされています。瀧ノ宮牛頭天王が、現在地に遷座されたのも8世紀後半以降とされています。
慶應4年(1868年)3月の「神祇官の再興及び太政官布告による神仏判然令」にともない、「瀧ノ宮牛頭天王宮」と称していた社号は、現在の「八坂神社」に改められましたが、地元では現在でも「牛頭天王」、「ゴシテンノウ」、「ゴステンノウ」の通称で親しまれています。
毎年7月7日と7月8日【もと旧暦の6月7日と6月8日】には、「とべら祭り」が執行されます。昔は鶏鳴の早朝より多くの参詣者が訪れたといわれ、この祭事で里人が販売する「とべら」の枝を持ち帰り門戸に挿せば疫病の災禍を避けると伝わっています。
トベラ【扉・苦木】
[科名]トベラ科
[学名]Pittosporum tobira
地方によっては、節分にトベラこの木の枝を扉にはさんで邪鬼を除ける風習があるらしく、そこから「とびらの木」と呼ばれていたのが訛化して「とべら」になったとされ、この八坂神社では「とべら祭り」の日にこの風習を倣っています。
この神社に伝わる伝説に、「龍の目に五寸釘」があります。
『昔、神殿の龍の彫刻が、夜な夜な抜け出して、山国川まで下りていくと、川の水を飲んでいました。そのため神社の丘から川に向かって蛇行した道があったそうです。それで里人は、「夜は、あすこん川には行きなはんなよ」と子どもたちにもいい聞かせていました。
しかし、ある時、「このままにしておいてはいけない」として、村の古老の善後策によって、昼夜を問わず抜け出せないように龍の目に五寸釘を打つことになりました。
早速、村人は彫刻の龍の目に五寸釘を打ってみました。すると、夜な夜な抜け出す龍の姿を見るものはいなくなり、蛇行した龍の通り道もなくなりましたとさ。』
また、境内の南には、牛頭天王公園が整備され、上毛町や中津市・豊前市・吉富町など近隣住民の憩いの場になっています。