二十四節気の「秋分」の頃、すっかりと秋の気があふれ朝夕は涼風を感じられるようになりました。丁度この頃、道端のどこにでも咲く花。『萬葉集』で柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の和歌にも「壹師花(いちしのはな)のとある花で、現在は、彼岸花ヒガンバナ曼珠沙華(マンジュシャゲ)の名でよく知られています。今年もあちらこちらの道端に咲き渡っています。


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris radiata ③


 この「壹師花(いちしのはな)について詠んだ『萬葉集』に撰録されている柿本人麻呂【飛鳥時代(6世紀中期~7世紀前期)。三十六歌仙の一人。】の和歌は…。


路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀つ 或本歌 灼然 人知尓家里 継而之念者

~『萬葉集 第十一卷』 旋頭歌 二四八〇~


(みち)の辺の 壹師花(いちしのはな)の 灼然(いちしろく)

人皆知(ひとみなし)りぬ 我(あ)が恋(こひ)づまは


(みち)の辺の 壹師花(いちしのはな)の 灼然(いちしろく)

人知(ひとし)りにけり 継(つ)ぎてし念(おも)へば


 「壹師花(いちしのはな)と「灼然(いちしろく)を枕詞にして、「道端の壹師花のハッキリと目立って、人の皆が知っているように、私の恋しい妻のことを皆に知られてしまいました。」と「壹師花のハッキリと目立って、人の皆が知ってい(て親しまれてい)るように、私の恋しい妻のことをずっと思い続けています。」という意味の和歌です。


 柿本人麻呂がこの和歌を詠んだ飛鳥時代(約1450年)以前の昔から多くの人々が知っているというほどに親しまれてきた花のようです。彼岸花には、赤い花びらの曼珠沙華(マンジュシャゲ)と白い花びらの白花曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)などがあります。今や日本全国で自生していますが、もともとは大陸から持ち込まれた花だそうです。


 花の後に茎だけになり、葉を伸ばし、冬と春を越し、夏には地上部が枯れ、秋分の頃に再び茎を伸ばし花を咲かせる多年草です。「葉のあるときには花はなく、花のときには葉がない」ことから「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味で、韓国語(ハングル)では「相思華(サンチョ)」と呼ばれているそうです。


 柿本人麻呂の和歌でも、韓国語の「相思華」という名称でも、「お互いに相手を思う心(相思)」を表現するものとして変わりないようです。


 根(球根)にはリコリンというがあることが知られていますが、水に何度もさらすと抜けるため、この根から採れるデンプンを飢饉の際の食料としたともいわれています。


曼珠沙華(マンジュシャゲ)

 【ヒガンバナ科/Lycoris radiata

 赤い花びらの彼岸花。

 豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris radiata ①  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris radiata ②


白花曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)

 【ヒガンバナ科/Lycoris albiflora

 白い花びらの彼岸花。

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris albifiora ①  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris albifiora ②


 赤と白の2種類の彼岸花で共通しているのは、学名が「Lycoris」(リコリス)。つまり、「ヒガンバナ科ヒガンバナ属」 であることです。「リコリス」はギリシア神話の海の女神の名です。花がとても美しいことに起因しているそうです。赤い花びらの曼珠沙華の学名の「radiata(ラディアータ)は「放射状の」を意味し放射状の花を咲かせることに由来しています。白花曼珠沙華の学名の「albiflora(アルビフィローラ)は「白い花の」を意味し花びらが白いことに由来しています。


 また、白花曼珠沙華は、赤い花びらの曼珠沙華【ヒガンバナ科/Lycoris radiata】と黄色い花びらの鍾馗水仙(ショウキズイセン)【ヒガンバナ科/Lycoris traubii】との交雑種ともいわれています。鍾馗水仙は、曼珠沙華と白花曼珠沙華の花より少し遅れて咲き始めます。


鍾馗水仙(ショウキズイセン)

 【ヒガンバナ科/Lycoris traubii

 黄色い花びらの、彼岸花と近似種。 
 豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris traubii ①  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-Lycoris traubii ②


 本来、曼珠沙華とは、仏教の経典に「曼珠沙華」または「柔軟華(にゅうなんげ)の名で登場する、サンスクリット語の「マンジュシャーカ」(mañj­­ūşaka)に由来し、「柔軟に和らげる花」の意、見る者の心を柔軟に和らげるという天界の花のことです。経典では曼珠沙華・摩訶曼珠沙華(まかまんじゅしゃげ)として曼陀羅華(まんだらけ)・摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)とともに、仏の浄土に降り注ぐ花です。もちろん経典でいうところの「曼珠沙華」とはまったく違う花ですが、秋分(秋の彼岸)の頃に咲くことに因んで、いつしか「曼珠沙華」と呼ばれるようになったのでしょう。因みに曼陀羅華は朝鮮朝顔(ひるがお)の花の別名でもありますね。


 最近は、圃場整備や河川幅の拡張・護岸工事などの影響で幾分か数を減らしてきているようですが、来年も沢山の曼珠沙華白花曼珠沙華が咲きますように。あともう少し、赤のと白の可憐で艶やかな花が楽しめそうです。