【陰隲録】改過⑨ 不動明王と諸行無常の法則はどちらが強いのか?謎は深まるばかり | (旧館)豊河怜の開運ネットワークブログ

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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)

 

なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、陰徳と結果の体験談を大募集中です。ご遠慮無く、書き込み下さい。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

 

 【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら

 

大勝利三原則の恥心、畏心、勇心のまとめです。

改過の章自体はまだまだ続きますが。

 

この三つの心を備えれば、過ちがあっても、改めることが出来る。

冬の氷は春になれば速やかに消滅するのと同じである。

なぜ、過ちが消えないことを恐れる必要があろうか?

 

そもそも論として、人間は間違いを起こす生き物です。

単純に、知らなかったというのもあるし、知っていても、状況や煩悩によって、間違いを為さざるを得なかった場合もあります。

 

安定した社会(官僚社会)などは、基本的に減点方式の世界です。

完璧を基本として、ミスがあれば減点していく方式です。

※さらに、裏社会になれば、減点方式どころか、ミスったら死ぬというデッド・オア・アライブワールドですが。

 

この方式は、基本的に安定した社会では、それなりに有効です。

イノベーションが必要ない時代では、求められるのは、安定です。

それに、外れた人間は、評価が下がるのは当たり前です。

 

しかし、当然、この「正しいことが決まっている」安定社会にしか通じません。

未来が不確定で、イノベーションが必要な時代には、減点方式は却って害になります。

マイナスがあっても、プラスが大きければ採用されるという実力社会でなければ、組織が生き残れない時代もあります。

 

このような方式の加点方式制の社会は遊牧民や騎馬民族の社会が例に出されます。

世界を征したモンゴル人などの社会です。

また、どこの国でも、国が乱れて、新しく王国を起業する時期は、この加点方式制の社会になります。

 

こうしたマクロな社会制度は、個人にも当てはまります。

実は、個人の方式は、この減点方式と加点方式の両方が適用されるのです。

要するに、善行だろうが悪行だろうが、総決算されて、因果として自分に回ってくるからです。

 

この回ってくる結果は、善因善果、悪因悪果ですが、別々に来るのか、一緒にくるのかは、論議があります。

例えば、悪いことをしても、反省して、善行で償えば、相殺になるという意見もありますし、

逆に、いや、悪行は悪行でそのまま返ってくる。善行とは相殺されないという意見もあります。

ここらへんは、正直、どうなっているのか、わかりません。

皆さんの、人生で人体実験して下さい。

 

ここらへんの話としては、参考に、次のような話があります。

仏教の、不動明王の功徳話ですが、

不動の真言で、慈救呪という有名な真言があります。

 

「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」

 

 

不動明王のWIKIから、抜粋

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不動明王の真言には以下のようなものがある。 一般には、不動真言の名で知られる、小咒(しょうしゅ)、一字咒(いちじしゅ)とも呼ばれる真言が用いられる。

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」
(namaḥ samanta vajrāṇāṃ hāṃ)

また、長い真言には、大咒(たいしゅ)、火界咒(かかいしゅ)と呼ばれる真言がある。

「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」
(namaḥ sarvatathāgatebhyaḥ sarvamukhebhyaḥ sarvathā traṭ caṇḍamahāroṣaṇa khaṃ khāhi khāhi sarvavighanaṃ hūṃ traṭ hāṃ māṃ)

その中間に位置する、中咒(ちゅうしゅ)、慈救咒 (じくしゅ)と呼ばれる真言も知られる。

「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
(namaḥ samanta vajrāṇāṃ caṇḍamahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ. )

大意:「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ。カン マン。」

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この、慈救呪は、長さ的にも丁度良いので、不動明王の真言としてはよく使われます。

で、不動明王は、なにせ密教や修験道の本尊として大人気なため、今日も、日本中でこの真言が唱えられているわけです。

 

気功的には、丹田を開発するらしく、どっしりとした胆力のある人間を形成するため、何事にも動じない人間になれます。

修験道でよく使われる理由がこれです。

 

で、その慈救呪ですが、まあ念仏と同じように、唱えればご利益ありますよ!と宣伝されています。

その御利益談の中に、次のような話があるのです。

 

ある僧が、旅先かどこかで、山道を登っていると、荷物を引いた牛がいた。

重い荷物で一生懸命引いているのだが、よくよく見ると、童子が後ろから荷物を押して、手伝っている。

童子はどうも人間ではないらしく、どういうことかと、僧が聞いてみると、

 

「我らは、不動明王の眷属である。この牛は、生前の悪行のためこのような畜生に転生した。

しかし、生前、慈救呪を一遍だけ唱えた功徳があった。

そのため、我らは不動明王の請願のため、このように手助けしているのである」と。

 

ここでは、悪行はそのまま畜生に転生するという悪因悪果の応報を受けていますが、別枠として、慈救呪の善因善果の応報で、助けがあるということです。

畜生に生まれた応報と、手助けの応報は別物ですが、結果としては、苦しみの相殺になっています。

 

こう考えると、善因と悪因が別物で応報されるように見えますが、しかし、結果としての労役の苦しみは少し減少しています。

やはり、応報は、総計として、相殺されるような気もしますね。

 

つまり、相殺されていると考えると、もし、善因の方が大きければ、そもそも畜生道に生まれることもなかったかも知れません。

あるいは、畜生道の刑期が短くなるとか。

まあ、ここらへんのさじ加減は、皆さんが、自分で人体実験として試して下さい。

 

ちなみに、この慈救呪。

プロになると、十万回唱えないといけない段階の修行があります。

この、真言を~万回唱えるというのは、密教とかインド系の宗教が大好きな修行で、これが言霊信仰の日本の好みにも合って、いたるところで反映されてます。

 

ありがとうを百万回とか、空海も求聞持聡明法で、虚空蔵菩薩の真言を百万回とか、あちこちにあります。

これは、チベット密教でも同じで、気功とかタントラをやる無上ヨガタントラの段階(中期密教の日本には無い後期密教)の前段階の加行(善行)でも、~の行を~万回とか~十万回とか、要求されます。

 

私の、甲州流兵法の陰陽道の先生も、般若心経を100万回唱えたとかドヤ顔してましたが、この「呪文を唱えまくり修行」は、仏教の本道の修行から見れば、かなり怪しいのですが、開運的には効果が有るので、やってみることを、お薦めいたします。

 

効果としては、いくつかあり、気功的・音声的に唱える人間のオーラやチャクラに影響を与えるのと、意味的に自己洗脳する、さらには当然、その神仏との縁結びという意味があります。

 

陰徳的にも、よく言葉関係の悪行(悪口とか言葉が汚いとか文句とか罵詈雑言とか怒りの言葉とか)があったり、妄想の中で言ってしまうとかを中和できます。

要するに、改過として、言葉のマイナスがあったら、それを止めて、埋め合わせに、良い言葉や真言やお経を唱えて中和するということです。

 

もちろん一番いいのは、初めから言葉のマイナスを言わなかったり、良い言葉を使ったりすることですが、それが出来ない我々凡人は、マイナス点を相殺するため、もしくは脳内のおしゃべりを真言で埋めて、マイナス言葉を発生させないという次善の手段を使うということです。

 

また、自己洗脳とさきほど言いましたが、慈悲の瞑想(生きとし生けるものが幸福でありますように)や「ありがとう百万回」もそうですが、自分の思考回路をそういう風にシフトさせるという意味もあります。

 

意識が変われば、自分のオーラや気も変わりますし、それが行動や周囲の環境も変わって開運となります。

※逆方向で、環境や気を変えれば、自分の意識も変わるということでもあります。

 この開運方法も以前に述べましたが重要です。

 よく、逆境から逃げるなという教訓もありますが、環境を変えてしまうという開運方法は非常に重要です。

 ブラック企業や全体主義国家にいて耐えるのが、いいかどうかはまた別問題です。

 修行という面ではいいかも知れませんが。

 

あのイエスも新約聖書で、口から入るものよりも、口から出る物の方がヤバイと言っています。

要するに、言葉で発したり、脳内で言葉にしてしまうのも、十分、陰徳的な善悪のポイントの増減に繋がります。

行動の善悪もかなり重要ですが、言葉(脳内含める)の善悪も実は、相当重要です。

 

このテーマで以前、大國魂神社の御神籤を引いたところ、こんな神示がありましたので、ご参考にどうぞ。