ドゥルーズ派を理解すると中東問題が紐解ける・・・?
多くの人にとって、シリアのシャルア暫定政権とドルーズ派との武力衝突は理解できない、というか、そもそもドゥルーズ派って?・・・だろうと思う。
そこにイスラエルが割って入って来る。ますます理解不能。
中東問題を分かりづらくしているのは、ヨーロッパ主要国の歴史上の責任回避と、ユダヤマネーに良心を失った米国連邦議会の議員達の存在だ。
この説明をしていくとかなりのページ数が必要になるので、最近の中東ニュースで登場して来るドゥルーズから紐解いていこうと思う。
以前にも書いたが、筆者にとってドゥルーズの人びとは、とても親しみを感じる、そして最も恩義を感じる人々である。
ドゥルーズとは
ドゥルーズの人びとはアラブ語を話すアラブ人。
宗教はドゥルーズ教。
シーア派に含むという解説は多いが、中身は大分違う。
居住国は、主にイスラエル、シリア(ゴラン高原を含む)、レバノンと少数がヨルダン。
人口は大よそ80万人から100万人と推定。
他宗教からドゥルーズへの改宗は禁止。
異宗教間の結婚は推奨されない。
政治的にイスラエル側とアラブ側に与する2つの陣に分かれるが、最近イスラエルでドゥルーズ派の権利(シオニスト右派による民族・宗教的差別)が失われてきているので今後は不明。
少数派はどの様にして存在するか
アラブ圏では、少数派の宗教グループは一つのコミュニティーを構成してそこに共に住むことが多い。
それは、ドゥルーズ派にしてもアラウィー派にしてもキリスト教各宗派にしても同じだ。
シリアの田舎を走っているとき、ある村の家々の屋根に十字架が掲げられているのを見たことがある。直ぐにその村はキリスト教徒の村ということがわかる。
シリアにおいてドゥルーズ派の人びとは主にスワイダー県に多いが、他の地域にも散在してそれぞれ集落を形成している。
ドゥルーズの村は外見からだけでは分かりずらい。
平和を維持するには世俗主義が必要
シリアの宗教地図は実に雑多だ。
10派以上はあるだろうキリスト教に更に少数派のヤジディ教やユダヤ教も数える。
シーアにしても、ドゥルーズやアラウィー派をシーアに入れるかどうかは疑問だが、他にイスマイール派、十二イスマイール派などもいる。
宗教的多数はとしては7割を占めるスンニー派だが、民族で見るとアラブ人にクルド人、トルクメン人、アルメニア人、アッシリア人とこれもまた雑多な民族がシリアを構成している。
ゆえに、このモザイク状のシリアを一つの国として運営するには、特定の宗教や民族グループで仕切ろうとするのは不可能ということである。
多くの人々から独裁政権と非難されていたバッシャール・アル=アサド(息子)によるシリアのアサド政権は、しかし、シリアの少数宗教グループや少数民族からはアサド政権のお陰で平和な状態が保たれていたのは事実だ。
なぜなら、シリアでは宗教グルーとしての多数派、イスラム主義の政治ではなく世俗主義による政治を行っていたからだ。
もともとのハーフィズ・アル=アサド(父親)の時代からアサド政権と対立していたのは、シリアの70%を占めるモスリムはスンニー派の原理派、ムスリム同胞団であり、更にその中のテロに訴える過激主義グループ。因みに、このモスリム同胞団の系譜にアルカーイダがある。
つまるところ、シリアの各宗教グループの中でもどの少数派よりも更に少ないモスリム同胞団過激グループを抑え込んでいたのが、親子で続くアサド政権ということだったのだ。
当然、多数派である一般のスンニーは世俗主義のアサド政権に対しては、多数派としての特権が得られない不満はあるにしても、平和を維持するために概ねこの世俗主義を受け入れていた。
なぜなら、シリアという宗教も民族もモザイク状態で成り立っている国にとって、世俗主義でいることが何より重要なことだからだ。
スンニー派原理主義の登場
この世俗主義を憎み、シリアをモスリム国家として望んでいたのがハマーを拠点とするモスリム同胞団の中の過激派グループ。
彼らは20年間にわたりシリア国内で暴動やテロ活動を繰り返していた。因みに、同じくモスリム同胞団でもダマスカスを拠点としていたグループは、宗教的に原理派ではあっても政治体制には暴力路線で反対することはなかった。
最終的に1982年ハマーで同胞団は武装蜂起するのだが、アサド政権に徹底的に鎮圧され同グループはシリアから消滅している。ハマー虐殺として知られる事件。その時同胞団は、自分たちが蜂起すれば多くのスンニー派国民は共に立ち上がるだろうと夢想していたらしい。
以後、シリアはアラブの国々の中で最も治安のよい、最もヨーロッパに近い国になっていく。
とはいえ、アサド側のスンニー派過激派の登場には常に警戒感を持っている。それが一般のスンニー派の人々にしてみれば迷惑な点ではあった。
シリア国内は平和になったが、世俗国家であるシリアを憎む他の国々、またはスンニー原理派のグループがあった。サウジアラビアがそうであるし、エジプトのモスリム同胞団もアルカーイダもそうなのだ。特に、彼らはスンニーからすると最も嫌いなアラウィー派が引き続き政権を握り続けることに対する憎しみは、我々の想像を超えている。
更に、アラブの大義を忘れずゴラン高原奪還を求める煩いシリアに対して、イスラエルは欧米を巻き込んだ反シリアキャンペーンを行い、ことある毎に軍事力の絶対的な優位性の上にシリアに対して軍事行動を度々起こしている。
反アサドの同床異夢連合
この状態がシリアで30年近く続いたころに、2010年末、チェニジアから始まった後に「ジャスミン革命」とも「アラブの春」とも呼ばれる民衆を主体とする反政府活動が発生する。
これ以降人々の民主化要求はモスレム、アラブ圏の国々に広がり、多くの国が影響を受け政権が変わったり内戦に発展することになる。特にリビア、イエメン、シリアでは本格的な内戦に発展し、国家が解体、崩壊し、10年以上を経てもいまだに正常化していない。
そのシリアは、2011年スンニー派の人々による民主化要求のデモであったものが、他の国々の政権転覆にまで発展したことに対する警戒感や、シリア・イラク国境付近でうごめくアルカーイダやISなどのジハード主義グループへの強い危機意識等があり、それが過剰反応へとなったことにたいしてスンニー派一般国民の反発へと広がってしまう。
そこに目を付けたのが、日ごろアサド政権に不満を持つ他の国々で彼らが主導して武力介入を始めるのだ。
当然のごとく諸々の原理派武装過激(ジハード主義)集団、アル・ヌスラ戦線(アルカーイダ系)やIS(イスラム国)、そして金で動くアラブを始めとするイスラム・マフィア連中をシリアに送り込み、資金を与え、武器を与えてシリア国軍を攻撃させていたのだ。
この最初のアクションはサウジとカタールで、スンニー派の原理派として理解できる。
内戦が本格化し大金が必要になることで、例のUSAIDがCIA経由で資金提供=武器提供となる。アルカーイダもISも元はCIAがつくった組織なので、反米を謳いながら必要な時にCIAの協力を得る、歩調を合わせることは不思議ではない。西側のNGOも反シリアの立場で、人道支援を語りながら反アサド武装勢力に資金を出していたようだ。
シリア内戦が激しくなり、多くのスンニー派の人々が難民となりヨーロッパに流れ込む。このことにより、ヨーロッパでは治安の悪化や移民の排外主義が起き、大きな政治問題になっているが、そもそもは彼らヨーロッパ人が原因を造っているのだから、ヨーロッパが責任を取ると考えるのは筆者の間違いだろうか?本来であれば、平和なシリアに居続けたいのが彼らの意志ではないか。
話がそれた。
そして、軍事上反アサドの筆頭国イスラエルは主にIS向けの後方支援に徹している。これは現場からの情報SNS上で度々流れていて、メジャーメディアでは決して流れない情報。
事実、ISはあれほど過激な主張と行動を取りながら反イスラエルの行動を起こしたことは決してない。その立場すら明示したことは筆者の記憶にない。
彼らが攻撃するのはスンニーもそうだが、特にイスラム教徒のシーア派と非イスラム教徒である。アルカーイダの場合は、一応反イスラエルは主張するがいまだ一度もその行動を取ったことはない。あれほど目と鼻の先にいながらだ。彼らの根がCIAならば当然そうか、ということである。
アラブの常識はコミュニティーで身を守る
内戦が始まる前までのドゥルーズ派は、勿論アサド政権のシリア国民として存在していたが、一旦内戦が始まってしまうとアラブ圏では同一部族・同一宗教グループで団結することになるので、彼らもドゥルーズ派としての武装グループを構成することになる。武器は一部アサド側から供給されているが、しかし彼らが取った立場は中立である。あくまでも自分たちのコミュニティーを守るというもので、彼らの拠点スワイダー県をジハード主義グループからの攻撃から守っていた。実際、内戦中ドゥルーズの村々はジハードグループから攻撃を受けている。中でも、2015年6月、シリア北西部スワイダー県から離れたイドリブ県のカルブ・ロゼ村で、ドゥルーズ派に対するアル・ヌスラ戦闘員による虐殺が知られている。
ダマスカス入城後演説するアフマド・フサイン・アッ=シャラア
アサド政権崩壊で何が起きているのか?
2024年12月8日、アサドはロシアに逃亡しアサド政権はあっけなく消滅する。
アサドに変わりダマスカス入城を果たしたのは、アル・ヌスラ戦線から名称を変えたシャーム解放機構の司令官、アフマド・フサイン・アッ=シャラアである。
現在彼は暫定政権の大統領の地位にいる。
暫定政府はアサド政権時の憲法を停止し、議会を解散させ、法による支配を行い、宗教的・文化的多様性を尊重すると表明はしているが、ジハード主義であることは疑いない。
それを証明している事件は早速起きる。
シリア西部の海岸地域で3月7~8日、暫定政府の治安部隊はアラウィー派とキリスト教徒住民1000名以上を計画的に大虐殺している。
そして、7月13-17日スワイダー県を戦場に、ドルゥーズ派は暫定政府治安部隊の攻撃を受け、725 名のドルゥーズ派戦闘員と一般住民が殺害されている。
イスラエルの空爆による介入を受けて暫定政府側は、双方で1100名以上の死者数を数える段階で撤退している。
もともとはスンニー派ベドウィンとドルゥーズとの間のイザコザから、これに対して暫定政府側はスンニーとして当然ベドウィン側に付き、少数派のドルゥーズを叩くという構図になる。
少数派宗教グループを尊重しないシリアとはこのようになる、ということだ。
更に、我こそはドルゥーズの正義の味方であると介入してきたイスラエルの存在が注目される。
筆者あとで知ったのだが、イスラエル側の武装したドルゥーズ派が数百名から1000名とも言わる人数で、シリアの仲間を応援すべくイスラエルとシリアの国境を越えてシリア側に入境している。これはマズイと思ったのか、これ幸いと思ったのか、もともとシリアとの間に緩衝地帯を持ちたいと思っていたイスラエルとしては、スワイダー県は都合が良い。そこで、暫定政府の軍本部およびシリア南部のベドウィングループを標的に160回以上の空爆を実施している。
そこまでやられた暫定政府側は慌ててスワイダー県から撤退している。
アサドを追放した側に勝利感はあるのだろうか?
このようにしてイスラエルとしても、今考えるとアサドの時の方が良かったと考えているに違いない。お互いにバランスの取れた緊張感で、結果として共存関係が出来ていたのだ。
以上、ドゥルーズ派を通してシリアを見ると、アサド親子の独裁圧政と言われる政策はモザイク国家を如何に運営するかという難しさではないかと思う。
アサドを独裁者と罵ってきた人たちは、これからのシリアを如何したいのか、聞いてみたいものだ。
因みに、アサド政権崩壊の本当の理由は、アメリカによる経済制裁で軍に対する資金不足、兵士に給与を与えられなくなったことによる戦意喪失である。





