当時の日記を読みながら、このブログに転記していきました。
今、思うと、もっともっと詳細に書いていれば良かったな~と思います。でも、記録してただけでも良かったのだと思う。日記という形で残ったのだから。
北海道ヒッチハイクの旅の資金は、いくらだったのか?という疑問がある。残念ながら資金の記載はない。
7月からバイトをやり始めた。時給は、500円だと思う。高校が終わってから5時から8時まで、平日だけやっていたと思う。1日1500円で22日計算で33,000円になる。それ位だったのかもしれない。金銭的にもギリギリ間に合ったのかもしれない。
地図は、持っていったと思うが、残ってはいない。記憶も曖昧だ。
ヒッチハイクは、行き当たりばったりの面が強い。地図が無くても何とかなったのかもしれない。
社会は、好きだったので大体地理も頭に入っていた。
北海道の大学も見学出来たし、観光も出来た。旅の目的は実現できたのだと思う。
今、同じようにヒッチハイクできるかと言えば、無理だと思う。若さと情熱と行動力、そして金が無かったといった条件が揃ったから出来たのだろう。ヒッチハイクは、最も安上がりな移動手段だと思う。
また、大体の宿泊地が駅構内というのも凄いと思う。今だったら、駅構内で寝れるのか?無理なような気がする。
持参したのは、お金、寝袋、少しの着替え位だったのだろう。
高校3年生の夏休みに素晴らしい体験をした。
その後の私は、北海道の大学には行かなかった。父親は、私が中学生の時には、もう働いていなかった。正確には、働けなかったが正しい。家庭の事情もあり、進学は諦めた。その代り大学4年間行ったつもりで4年間やりたい事をやろうと思った。
高校3年生の担任からは、毎日のように卒業後の進路について呼び出されたが行かなかった。行っても意味がないと思った。担任から得るよりも遥かに大切な事柄、生き様を学んだのだと思う。私の腹は決まっていた。
大学4年間行ったつもりで4年間やりたい事をやろう!
と思っていた。
旅のブログ第2弾も時間のある時に転記していきますので、読者の皆様、宜しくお願い致します。
http://ameblo.jp/toyatoyaman3/
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
また、17歳の私に優しくしてくれた皆様に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。