放浪紀

◆『ヘタレ紀行(奇行?)’98』 移設しました。

     (公開から1週間晒したら(笑)日付通りの場所に埋めていきます。)

  コチラ→http://ameblo.jp/towels-106/archive-199810.html

                  ※挿絵公開してます。(ショボいです。)


◆『ヘタレ紀行(奇行?)’06』 移設しました。

     (適当に晒したらお蔵入り…。)
  テーマからどうぞ。(手抜きとか言わない。


ぼちぼちいこか/マイク=セイラー

¥714
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今江祥智さんの訳。関西弁を操る子カバが秀逸♪
ホノボノ前向きなお話になってます。
小学校の図書室で出会って以来のお付き合い。
Amebaでブログを始めよう!
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おっさんの話

えらいこっちゃ


右手首が残念なことになっとりまして、不自由しておりましたところ、

左手の親指も脱臼しとる模様。


右手首は医者にかかりまして、おおむね全治3ヶ月だとのこと。

固定しての3ヶ月なので、装具を買えと言われましたが、

だいたいその手のものはべらぼうに高いので、


「どうしても右手を使わないといけない時には固定できます。」

と、むりくり逃げてきました。


因果というか、経験の偉大さというか・・・。

おそらく怪我の功名そのものなんですけれども。


まともに勉強したわけではないのに、

たいていの関節はテーピングで固定できます。


ただ、両手にテーピングをしてしまうと、

手を洗わないといけない場合、食品を触る場面では困るので、

癖になっている左手親指の脱臼は見て見ぬふりをします。



で、ですね。


そんな状態やのに、なんでブログ更新なんてしとるんか。


リハビリです。


レポート書かないといけないので。



片手だけでの生活は不便だ


なんて思った瞬間に、ふとある人の面影が浮かびました。

もう40年も経って、すっかり色あせた記憶の中のあの人の。


あ、全然色気のない話です。


甘酸っぱくもないです。


おもちゃ屋のおっさんの話ですから。



たおるさんの住む町も、時代の流れとともにずいぶん変わりました。

その象徴が私鉄の駅とその周辺です。


木造の平屋建てだった駅舎。

小学校に上がるまでは、自動改札ですらなかったと思います。

自動券売機はあったと思いますが、一部窓口も残っていて、

駅員さんと話した記憶もおぼろげに残っています。


そして、駅の西側にほとんどプレハブ造りのような公設市場、

東側にコンクリの2階建てとはいえ、古びた商業施設がありました。


今は駅舎もコンクリ造の4階建てだか5階建てになり、

公設市場はマンションに、商業施設は複合施設になっています。


当時をしのばせるのは私鉄が経営しているそば屋ぐらいでしょうか。



たおるさんは駅の西側の住人なので、公設市場によく行きました。

というか、毎日行ってたんだと思います。

青果店・八百屋・鮮魚店・精肉店・乾物屋・惣菜屋・パン屋・漬物屋に、

靴屋・薬屋・花屋・衣料品店など、食品から日用品まで何でも揃う市場。

母親に連れられて、毎日の買い物に行っていたんだと思います。


思い起こせば、当時でもそろそろ手に入りにくくなっていたクジラも、

肉だけではなく、ベーコンやコロ(皮の薄切り)まで店頭に並んでいました。

今では見ななった、ガラスケースに並べられた麺類も印象深い思い出です。


そんな市場の奥の方、使う人も少ない裏口から3軒目か4軒目に、

こじんまりとしながら、商品をぎっしりと積み上げたおもちゃ屋がありました。


幼かったたおるさんは、母親が買い回る間、暇を持て余したのでしょう、

ほとんど毎日、おもちゃ屋さんで母親を待っていたようです。


つまり、おもちゃ屋のおっさんが子守をしてくれていたということですね。


で、このおっさんが結構大柄で、強面で無口な人でした。

年齢はおじいさんと言っても良いぐらいで、白髪の短髪。

やや人を寄せ付けない雰囲気を醸してもいたように思います。


なぜなら、それだけ毎日いたのに、他のお客さんと絡んだ覚えがないのです。


幼いたおるさんは『なんで君』(やたらなんで?と聞き倒す子ども)だったので、

とにかく気になることは「なんで?なんで?」とうるさかったはずで、

無口なおっさんはさぞかしわずらわしかったことでしょう。


でも、たおるさんは懐いていました。



おっさんはいつも、左手をズボンのポケットに入れていました。

一度だけ見せてもらったような、見せてもらってないような・・・。


おっさんは左手を失ってたんだという記憶ははっきりしてますが。


今思えば、戦傷者だったのかもしれません。

左足を引きずっていたような記憶もおぼろげにあります。


当時、なんとも思っていなかったのです。

今でこそ、『不自由』なんて言葉を使うようになっていますが、

そのころはそんな言葉も概念も持ち合わせていなかったので。



先日、片手で、棚に箱を収めようとした時、

順手から逆手に箱を持ちかえようする動作がふいに、何かとシンクロしました。


持ちかえる動作をする自分の後ろ姿が脳裏に浮かんで、

そこにおっさんの後ろ姿が重なって見えたように思ったのです。


使ってる手は逆なんですけどね。



別に、特別な思い出があるわけではなくて、でも、おっさんはいて、

たおるさんの頭の中にも心の中にも確かにいて。


どんな商売をしてたのかはわからないし、

商売人として優秀だったのかどうかも定かではなくて。



その後・・・。


小学生になって、さすがに毎日は行かなくなり、

高学年になるころには、おもちゃ屋より隣の駅の模型屋に行くようになり。


でも、何度か、入手困難だったガンダムのプラモデルを仕入れてくれて。


たぶん、知らなかったと思うのですよ。ガンダムなんて。

とてつもなく不人気なのを仕入れてくれちゃってたような・・・。


えらそうに、「これじゃない!」とか言って買わなかったりもしたと思うのです。


それでも・・・。


なんとなく許容されてたような気がしています。


気のせいかもしれませんが。




今、自分の周りに、おもちゃ屋のおっさんのような店主はいません。

世の中を見渡しても、もう絶滅危惧種なのだろうと思います。


少なくとも、戦傷者が身の回りに普通に生活しているなんてことは、

ほとんどなくなってしまっているのだろうと思います。



自分がおっさんになって、今の自分がおもちゃ屋のおっさんに会ったら・・・。


たぶん特別な目で見るんだろうと思います。


かわいそうだとか、戦争なんてあっちゃいけないだとか、

他人事をあたかも我が事のようにまくしたてるかもしれない。


でも、ときどき思い出せたなら、そうはならないんだろうね。


おもちゃ屋のおっさんは、たおるさんの育ての親の一人だから。



あ、育ての親の消息はわかりません。


調べる気になれば調べられるのでしょうが。


不義理な“育てられ”の息子です。




さ、特に何もなかった話はそろそろお開きにします。


二人目のおっさんは近日中にまた。





過保護

5月の末。


オカンの誕生日プレゼントに、苗を買ってきました。


プランターに植え替えて、毎日様子を伺っています。


トマト・プチトマト・枝豆・唐辛子。


幹が伸び、枝が増え、花が咲き、実を結び・・・。


青くて固いトマトの実がいつ色づくのか。


ワクワクしながらボケーっと眺める幸せ。



『台風が直撃する可能性が・・・』


そらえらいこっちゃ!うちん中入れたらんと!


『今夜から明朝にかけて大雨です。』


軒下に入れたらんと!



なにやってるんでしょう。


オカンにあげたんやから任せとけばええのにね。



びしょ濡れになりながら今日も避難させました。



オカン?


呆れ顔で眺めとります。はい。




CM

再稼動が決まった今、関西では、


「空冷式発電機の高台設置が完了しました」

「電源車の配備が完了しました」


ってCMが流れています。


なんなんでしょう・・・。


できたことを報告。


できてないことは言わない。



郷愁

生活保護を現物支給、維新の会「船中八策」に盛り込む
 生活保護受給費の問題で、大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)は政策集「船中八策」の中に、現行の現金..........≪続きを読む≫


たまにはニュースをネタに書いてみよかな。


生活保護の現物支給って?


大阪らしい発想というかなんというか・・・。


生活保護費が莫大な額になってるとか、

生活保護の認定要件が甘いとか、

生活に困った人が大阪市に流れ込んでるとか、

生活保護の問題の多くが大阪市で起こってるのは確か。


貧困ビジネスという名の生活保護費の間接搾取まで起こる。


事態は深刻で、対策は緊急を要する。


受給条件を厳しくするとか、生活保護を縮小するとか、

「とにかく金の動きを制御しとけばええ」っていう、

政府が考える生活保護に関する政策と見比べて、

現物支給という案は一歩踏み込んだ考え方かも。


大阪市の財政上の問題と言うだけではなくて、

生活保護費の支給後の使われ方にまで目を向けて、

より効率的に運用しようという意図が感じられる。


ま、個人を指して違法だなんだと騒ぎ立てる国会議員より、

よっぽどまともな方向性を持った話やとは思う。

もちろん大阪維新の会の全てがええとは思わんけどね。


しかしまぁ、元大蔵官僚って、何事も数字でみるんやなぁ。

結局は現金を全く持たないで生活することは難しいから、

多少の現金は支給しとかんと成り立たへんのやろけど、

食品や生活必需品の類に、生活インフラなんかには、

現物であったり、クーポンであったり、使途を限定した、

支給の仕方を模索するのは悪くない考えやと思う。



こんなんはどうやろう?


高齢化・過疎化が進む農村に、国営の農業組織を作って、

希望者・生活保護受給者・失業者・削減予定(?)の国家公務員、

とにかく働ける人・働きたい人を雇用する。


準公務員の身分を保証して、生活保護受給者に支給する、

野菜や穀物、畜産物を生産するっちゅうのは。


もちろん、そこで農業を営んできた人たちも雇い入れて、

指導者として働いてもらう。


農地は当面借地という形態でもかまわんのやないかな?


地主は民間、小作人が国家っちゅうのも面白い。


ま、妄想やけどね。


どうせ一つの問題を解決せなアカンねやったら、

一石二鳥、三鳥と狙ってみた方が悲壮感がない。


結果、一時的に公務員の数が激増して、人件費がかさむけど、

余剰作物をうまく生かせば将来的な自立も可能やろから、

出発点は国営・公務員ってことでもええんちゃうかな?



とにかく、算盤弾いて右から左ってやってても、

半分以上借金の国家予算を組んでる現状で、

大幅な税収増なんて見込めるはずもない経済環境の中、

負担負担負担負担言われて未来に希望なんて持てません。


生活保護の制度も、受給者も、必ずしも悪いわけやなし、

たまたま、生活保護が規定する最低限の生活の水準すら、

満たせてない状況に置かれてる人間が増えただけの話であって、


単に額面だけ帳尻合わせするような政策が有効なはずもなく、

不公平感を解消するためにどこかを貶めるような考え方は、

それこそ士農工商の身分制度が押し付けられた時代への逆行、

差別意識の再発と定着に繋がってしまいそうやん?


最低限の生活は保障されるけど、食べ物の好き嫌いはできへん。


そうなったら偏食も減ったりしてな。


現金という、自由な選択を保障するものを持たないことで、

おそらく精神的な苦痛を感じる人は多いと思う。


そやけど、少なくとも、働く気さえあれば働ける場所を確保して、

その上でどうしますか?って選択を迫られるのなら、

精神的な負担を自らの手で拭い去ることができるんやから、

少なくとも一つは、自らの生きる道を決めることができる。


単純に農場って話だけ書いてみたわけやけど、

生産だけやなくて、支給するところまで仕事はあるわけで、こんなこと

いくつかの職種から選択することも可能やと思われる。



妄想とは言うても、膨らませながら結構楽しんでみた。


そんな楽しい政策を考えられる政治家が出てきてくれたら、

ちょっとは世の中明るくなりそうな気もするんやけどな・・・。




悪者

悪者を作ることで、相対的に自分を善と思わせる手法。


ごくごく稚拙なこの手が、長く効力を発揮するとは思わんけど、

一時的とはいえ、かなりの説得力を持たせることを思うと、

しょーもない・・・と侮るわけにも行かんのが現実やな。


この手法を用いて結果誰かを貶めることになるのは確実で、

いずれ自分もその憂き目に遭うのが自然な流れなんやけど、

そこまで考えられる人ならこの手は使わんやろからね・・・。


よっぽど切羽詰ってるか、思考停止したか・・・。


ね?Nさん。



「安全を確認したので・・・・。」


結局、大した議論もなく、鶴の一声的な押し切り方で、

関西電力大飯原子力発電所の3号機が再稼働が行われる。


そして、当然のごとく4号機の再稼働も決まったという話や。


なし崩し?


全国津々浦々、原発が動き始めるんやろうな・・・。


関西電力、つまりは関西圏の原発依存度は一般的に、

国内で最大の50%とされてるんやけど、

これがホンマかどうかはとりあえず置いといて、

今回の大飯原発の再稼働論議の中で、

この数字のせいで完全に問題児扱いやな・・・関西圏。


ちなみに関西で最初に原子力の光が点ったのが1970年。

かの大阪万博で点された敦賀1号機による光やったらしい。


それから42年か・・・。


ちなみにタオルさんの生まれるちょっと前の話やな。


学校で電気・電力の授業になると、大規模で安全な電気やとか、

最新技術がどうやとかって話になっとったんやけど、

ある先生は、意図的にか、原爆の授業と同時期にやっとったな。


子供心に、

『なんであんな目に遭ったのにこの国で原発作るんか気が知れんなぁ・・。』

と思いながら授業を受けた記憶がある。


小学校のときは依存度が30%足らずやったかな?

中学校のときに30%を超えたんちゃうかったかな?


それからおおよそ四半世紀で20%も上がってたんやね・・・。


ま、その20%分については、一応、責任感じなアカンのかな。

電気はいつでも好きなように使えるもんやと思ってたから。



「原発は毎日停めるわけにいかんから深夜は電力を捨ててる。」


捨てるっちゅう言い方が正しいかどうかはわからんけど、

蓄電の技術って今でもまだまだ発展途上ってぐらいやから、

アルカリ乾電池をありがたがってた時代じゃしゃーないんやろけど、

とにかく、深夜帯に電気を使うのは悪くない、むしろ善や!みたいなこと、

しっかりすり込まれてたな・・・今思えば情けないけど。


そやねん。


被害者面はできへんねんで?


そうやって無駄に使った電気が、『需要』として扱われて、

発電能力を上げる=原発増設の根拠の一つになったんやろから。


しかもその発電所が関西圏にないっちゅう、ホンマ無責任な状態で、

電気の恩恵に与ってきたんやから・・・。


もし、福島第一原発みたいな事故が起こったら、完全に加害者や。



・・・にしてもや・・・。


「電力消費地である関西の国民の生活と経済活動を守るため・・・。」

って言い方、完全に関西を悪者にしてませんやろか?


この先、関西電力以外の原発の再稼働が行われたとして、

そのきっかけになったとしたら、関西は総スカン食うんやないんかな?


「東京は計画停電を受け入れて節電で乗り切ったんだぜ?」


とかなんとか・・・。


いやいや・・・。


東京電力を褒める気はないけど、去年の場合、当事者意識もあってか、

動かせる火力は修理してまで全部再稼働させて、自家発電もフル活用、

頭下げて回ったんやろ?大手の企業とか外国の発電機メーカーにも。


かなりの巨費を投下したんは間違いない。


おかげで世界的に発電タービンが不足してるって話まである。



今年の関西電力は・・・何もしてへんで?


安全宣言の出方を見ても、明らかに予定調和やったんやし、

『どうせ大飯は再稼働できるんやから・・・』って、

のんびり構えてたんやないかな?


そら何も手を打ってないんやから、足らんもんは足らんわけで、

足らん分は全部節電で補えっちゅうのは乱暴過ぎるやろ?


『節電で乗り切ってしまったら原発不要論が強まるから・・・。』

とか言う下らん話を真に受ける気もないし、


『原発をなくせるんなら多少の費用負担も厭わない。』

とか言う優等生発言もする気はないけど、


実際どんだけの発電能力があって、需給見通しがどうなってるんか、

ちゃんと正確な数字を出して考える時間と権利をくれ。


もう一つ、原発を停めたとして、その間の使用済み燃料プールとか、

原子炉を冷温停止状態に保つために必要な電力量も開示してくれ。


普通に考えて、発電量の何割かはそこに使われてるんやろ?


使用済み燃料プールだけをピックアップしたとしても、

25mプール何個分かにあたる水量を冷やし続けるんやから、

とてつもない電力消費やんな?


ま、正確な数字は出さんやろな・・・。



さて、関西人としては全国に訴えとかなアカンやろな。


『安全宣言』やけど、あれ、完全に眉唾。


『免震重要棟』をはじめとして、災害対策の施設のほとんどが、

『3年以内に整備する。』って条件で通ってるんやな。


えーっと・・・。


3年以内に大災害が起こらないって誰が保証したんですかぁ?


ノストラダムスばりの預言者が政府内にいるんでしょうかぁ?



そうゆうええ加減なことを平気で言えてしまう人の発言ですから。


『関西のために・・・云々かんぬん』は。



ほらね。


誰かを悪者にして自己防衛してしもてる。


ちっちゃいなぁ・・・人間が・・・。






中越地震やったかな?


東京電力柏崎刈羽原発が活断層の上に乗っかってるって話が出たんは。


今回の震災では、活断層上にあるってこともあって、

中部電力浜岡原発が緊急停止させらて、そのまんま停まってる。

災害対策の作業を進めてるみたいやから、再稼働する気かも知れんけど。


つい先日の調査で、日本原子力発電敦賀原発の2号機の建屋の下に、

活断層があることがほぼ証明されたんやな。


この敦賀原発は半島の先、岬の辺りに立地してるんやけど、

大飯原発にしても、美浜原発にしても、高浜原発にしても、

ロケーションとしてはほぼ同様の条件になるんやな・・・。


最近、『大飯原発の下にも活断層があるから調査すべきや』って、

噂とも言えない立場の人からの指摘もあったらしいよ?


『建設時の調査技術では発見できなかった』とか言う、

的外れな言い逃れを聞いた覚えがあるんやけど、白昼夢?


白昼夢であることを祈るわ・・・。



そういやあの話はどうなったんやろ?


『昨年比、15%以上の節電を達成した家庭にクーポン券』

ってキャンペーン?みたいな話。


最近聞かんのやけど・・・。


ちなみにワタクシ、去年は一回も扇風機回してませんけど?

クーラー、部屋にないですけど?

冬場もハロゲンヒーターホコリかぶってたし、

自分用の冷蔵庫もコンセント抜いたままやし。


部屋の照明も電気スタンド一つで賄いましたけど?


去年から節電してる人、対象外ですね。



去年の東京電力管内の窮状で十分切羽詰まったんやけどな・・・。



3、柿本人麻呂

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の


ながながし夜を ひとりかも寝む



柿本人麻呂は、かきのもとのひとまろで変換される。


偉い人なんだろう。


いわゆる歌人で、文化人やし当たり前といえば当たり前か。


なぞ多き人物らしい。


ま、文化人は正史にはほとんど載らんから。


そやけど、この歌、柿本人麻呂の歌かどうかわからんて。


それもまた太古のロマンっちゅうやつですか?



まだ小学校の低学年ぐらいやったかな?

親だったか祖父母だったかに京都の嵐山に連れて行かれて、

『落柿舎』なる古ぼけた建物を見せられたんやけど、

その時に‘柿本人麻呂’と関わりがあると覚えたらしい。


あまりにも古すぎる記憶で、何が根拠やったか覚えてないけど、

どうやら人麻呂は平安遷都前に亡くなったらしいので、

完全なる勘違いなんやろね…。


たぶん…‘柿’だけが頭ん中で大フィーチャーされてたんやろ…。


ネットで調べたらすぐ答えが出る?


そんなんしたら楽しみが減るやん。


現地行って確認するんが楽しいんやし。



古い記憶や思い込み、勘違いから生まれる出会い。


これって結構刺激を伴う楽しみやで?




2.持統天皇

春すぎて 夏来にけらし 白妙の


衣ほすてふ 天の香具山



天皇とはかくあらん!…か?


統べるを持つ天皇とは理想の具現。


実際はかなりやっかいなお人だったような話もチラホラ。


ま、大昔の人やからね。ほんとのところはわかりません。


もちろん、祖先あっての現代日本人。


彼女あってこその日本人。



ようやく春かと思ったらもう夏日が連発してますな。


それこそ冬の衣類を干して仕舞わんとあきません。


ま、干したら干したで黄砂塗れの西日本。


古よりこの国に多くをもたらした某大国は、

今もいろいろもたらしてくれるようで…。





1.天智天皇

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ


わが衣手は 露にぬれつつ



天智天皇とはまた、そのまま読んだら‘天を知る天皇’。

恐ろしい話やな…。


さて、小倉百人一首をタネにブログを書いたら、

少なくとも100本の記事になるなと思い付いたんやけど、

一枚目捲ったらいきなり「秋の田の…」ときた。


えらい気の長い話になりそうで、どうしたもんかと思いつつ、

‘ま、それっぽいこと書いてごまかそう’と、頭の中が春うらら。


春眠暁を覚えず?


あ~眠い。


え?歌の解釈?


そんな気の利いたこと…ウィキペディアででも調べてください。


タオルさんにとって百人一首とは…。


カルタです。


戦いです。



ちなみに‘かりほ’、秋田ではポピュラーな日本酒です。


なかなか親しめないので詳しくはないですが、

秋田の酒の特徴である酸味の利いた旨い酒のようです。


日本酒の消費量No.1!秋田万歳!





その後のニッポン(3)

くどいようだが与太話の長文が続くので、

“あまりに暇すぎて目と口がずっと半開き、涎も垂れる”

ぐらいの方以外はお読みにならぬようお願い申し上げます。



くしくも昨日は日本史上最大のテロ事件の発生日だった。


結局のところ何が目的だったのか、私自身は未だ詳らかでない。


しかし、この国のテロ対策の脆弱さが浮き彫りになったことは事実。


その点で今回の大震災、ことに津波によって引き起こされた事故と、

遠からず結びつくようなので、触れておきたいと思う。


『希望的観測』は日本人の美点の一つに数えられるだろう。

それはまず、人を信じるところに起因しているからだ。


人と機械・科学技術を並べて信じることは問題だとは思うのだが。



今回の大震災に関する被害の半分は原子力によってもたらされた。

『人災だ』との向きもあるが、ではその“人”とは誰なのだろうか。


判断を誤った政治家なのか、持ち場を離れた電力会社の幹部なのか、

原子力発電を推進してきた科学者や政治家なのか、

原子力の生むエネルギーを享受してきた市民全員=全国民なのか。


それはこれからのエネルギー政策をどうするかに関わる話で、

近い将来に総括し、判断を求められることになるだろう話なので、

ここで触れるにはあまりにも大きな事案、しばらく経過を見守ろう。



さて、テロ対策だ。


今回の事故で実際に影響を受けた範囲を考えてみても、

一度原発で何かが起これば、広大な国土を失うに等しいのだ。


の割に、原発周辺のセキュリティーたるや、お粗末なものである。


もちろん、民間企業の一施設に、国家機関が警備を置く事は、

少なからず支障をきたすのだろうが、それで良いのだろうか?


必要とあらば、警察だろうが自衛隊だろうが協力を仰ぐべきであるし、

少なくとも、下請け・孫請けの警備会社に委ねるようなことではない。


“平和ボケ”と各国から揶揄されるこの国ではあるが、

この警備の拙さはおそらく、この国特有の事情がそうさせたのだろう。


『安全である原発』に物々しい警備は“相応しくない”のである。


この国で生きていくには建前と本音の使い分けが必要である。

…のだが、建前が通るか否かの判断を誤ってはいけない。


そもそもが、これもまたこの国特有の地理的事情なのだが、

核燃料の冷却に膨大な水を必要とする原発は全て、

海に面しているという“護るに難い地形”に立地している。


歴史上、この国は隣国と国境を接したという経験を持たない。

もちろん、この国の統一がなされて以降という意味ではあるが。

とにかく、日本という国は生来の島国であって、四周は大洋。


海は隣国を作ることなく、他国の脅威から、

常に国土を護る最大の防御装置であった。



俗に太平洋戦争と呼ばれた先の戦争においても、

全面的に劣勢であったこの国の軍隊がかくも抵抗できたのは、

常に敵側にとって圧倒的に不利な海からの攻撃を余儀なくされ、

戦力の不均衡が緩和されたことによるところが大きいと思われる。



しかしレーダーなどの探知技術が発達した現在においては、

陸・海・空、宇宙までを含めても、もっとも隠密性を保てるのは海、

この国の四周を占める海は防御装置ではなくなっているのだ。



その中で、あらゆる脅威から原発・関連施設を護らねばならない。


関連施設を含めると優に60を超える施設を護るために、

どれほどの能力が必要とされるのかを考えた時、

今回の事故の対応を見るにつけ、それに見合うものではなさそうだ。



再稼動を目指すならば、災害対策だけではなく、

原発に対するあらゆる脅威に厳重に備えてもらいたい。



円高・イランの問題等で化石燃料の高騰が顕著な現在、

『原発を稼動させない限り電気料金の値上げは避けられない』

との電力会社の主張は、一見正当性を感じさせるのだが、


上で触れたテロ対策や災害対策等の安全のための費用に、

核燃料の最終処分という大問題を解決するための費用を加えて、

総合的に捉えた時、果たして本当に採算性の高い事業なのか、

情報を開示した上での電力会社のしっかりとした説明を聞きたい。



いまや原発は、漠然とした恐怖の対象ではなくなっているのだから。





その後のニッポン(2)

所詮、与太話に過ぎない長い記事を、わざわざ読んで頂くのも心苦しいので、

あらかじめお断り申し上げます。


大して読む価値のない記事ですので、ここに踏み入れてしまった方で、

“死ぬほど退屈”と時間を持て余している方以外はお読みになりませんよう、

心よりお願い申し上げます。



阪神大震災の後、社会問題化した多くの事柄は、既に周知となっていて、

それなりに教訓としても残り、今般の大震災において、少なくとも、

“念頭において”方策が立てられたことは間違いないと思われるし、

それが良くも悪くも影響したことは説明するまでもないと思われるので、

ここではあえて触れないで進みたいと思うのです。


もちろん、この話を軽く見ているわけではないのですが。


さて、行政の単位という点から阪神大震災の被災地のその後を見ると、

結局、行き届いていない部分が数多くあったと言わざるを得ない。


それは、どこに視点を置いて行政を進めるのかの問題かと思われ、

少なくとも市民に目が向いているとは思えない場面が多々見られる。


経済活動と市民生活とは切っても切り離せない関係だという、

一定の真理が言い訳となって、巨大事業を進める行政があって、

利権主義が蔓延っているとまでは言わないまでも、

施策の失敗を隠蔽する“アリバイ”作りに躍起だと言われても、

仕方のない市民生活を無視した施策が多く取られたように思う。


もちろん、市民の側も、既得権益を手放したくはないのだから、

サービスの低下を嫌う傾向はあるわけで、言うなれば、

“お互い様”であり“五十歩百歩”なのだろうが。


ただし、公金は市民の預託金であり、公僕は市民を支えるという原則が、

バブル以前の好況の中で崩れて以来、取り戻されずにいることが、

この状況を生んだのだとしたら、この国の未来は明るくないだろう。


大都市圏で起こった惨禍を未だ、教訓として共有できないばかりか、

当事者であったはずの、被災地の行政ですら、生かせないでいるのだ。


たまたま、現在の被災地での福祉行政の一端を良く知っている身として、

その点については甚だ疑問を持たざるを得ない。


一例を挙げるとすれば、今般、論争となっている事案、

『県立こども病院移転問題』が良いのではないだろうかと思う。


今、県では、ポートアイランドに医療区域を設ける計画を進めていて、

そこに当該施設を移す案が推し進められているというのだが、

実はこのポートアイランドという立地が、かの大震災の直後、

完全に孤立したという経験から、市民としては受け入れ難い案なのだ。


そもそもこのポートアイランドは、今思えば失敗した都市計画だと、

ここ10年ほどの間で評価が定まってしまった地域である。


医療区域などという大規模な計画が持ち上がるということは、

それだけ広大な土地が余っているからに他ならない。


もちろん、ポートアイランドが建設された1980年前後に、

この計画がおかしいと思った人は多くはなかっただろうし、

少なくとも、2000年以前に失敗と思った人も少なかっただろう。


あえていうなら、そこに住んでみて不便だと感じた人たちが、

自信を持って“失敗だ”と思ったぐらいだと思うのだが、

その人たちとて、自らの選択の失敗との思いが上回ったのではないか。


また、歴史的経緯を外して考えたとしても、今回の大震災の結果、

見直された津波の想定、液状化の問題を踏まえるのなら、

この土地が医療施設を置くに向くか否かの判断は容易だろう。


それも適わぬというなら、子を持つ親の心情を考えてはどうだろう?


健康に日々を過ごしている子でさえ心配せずにはいられない昨今、

こども病院にかかる子を持つ親の心配はいかばかりか…と。



こういった実情を思うに、行政のあり方を問い直す時機は、

今を逃すとないのではないかとの思いがわき上がる。


そこに一市民の意見を反映する手立てが必要かとも思う。



今、確かにその動きはある。


大阪で起こっている行政の混乱はその顕著な例の一つだ。


もちろん、批判はある。


手放しで歓迎する気など毛頭ない。


『業務命令で国歌斉唱』までは問題ないと思うが、

卒業式で教員の行動を監視する学校幹部など何が教育者か。


一体誰のための卒業式か!と憤りさえ覚える。


まぁ、これは私怨なのだが。



もう20年も前の話になるが、某組合に参加する教員が、

『日の丸掲揚』を理由に卒業式をボイコットしたのだ。


彼は3年の担任だった。


代理の教員によって進められた卒業証書授与では、

名前を呼ばれなかった者、間違われた者があったし、


その教員に影響を受けたのか、在校生代表の送辞では、

生徒会長が国旗・国家問題に触れ、一部父兄と怒鳴りあった。


そんな門出が望ましいと考える教員がいるなら、

それはもう教育者と呼ぶに値しないだろう。



話が逸れたが、結局、目的を履き違えるなという話なのだ。


何のためにその組織はあるのか。


そこに立ち返って再出発する。


それが求められているのである。



方法の良し悪しはあれ、大阪で起こっている混乱は、

再出発への一つの道筋だと考えるべき破壊が発端である。


破壊せずに変革ができるのであればそれに越したことはない。


大阪のそれに反発するならするで、反発だけで止まっていれば、

そう遠くない将来、行き詰るのではないかとの危機感を、

現実味を持って抱き、それぞれの方策を進めていくならば、

地域からこの国の未来を創造できるのではないかと思う。


まだ間に合う。


かもしれない。




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