私ね、少し前から、本当の制作の気持ちで作ったものに対しては、
作っても作っても、それはものをつくることの神様に作らせてもらっていることのように捉えるようになったんだよ。
そうするとさ、結局私に緩されている時ってどこだろう。
作る過程に喜びを得る。その実感。
具現的に出来上がるものから発生する獲得物。その存在価値や評価。
物事と正面から向き合うことの課題と解答。その生涯学習的な学び。
ここから見ると、ものをつくるに限ることじゃない。
のなら、ものをつくるに限らなくてもいい。
のなら、伴いやはり、ものをつくるに設定してもいいのだろう。
生きる学びに向き合うのなら、フィールドはどこに設定したっていいのだ。
幼きうちはフィールドを選べるために、学んでおけばいい。
幼き私の学びが今の私につながるだけの話だったのだ。
当・不当ではない。
