「論義第一」と称されて

辺境の地に教えを弘めた
迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)。

 

そんな迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)を

ご紹介したいと思います。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

自らの教えをよく理解していただけではなく

かみ砕いて人々に伝えることも

得意としていました。

 

辺境の地へ赴いた際

教化するために

戒律をその地の事情を

踏まえたものに変えたいと

釈迦に願い出るなど

大胆な行動をとったことでも

知られています。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

中央インドの西武、

当時の十六大国の一つである

アヴァンティ国の都ウッジェーニーで

生まれました。

 

尊者の父親は

バラモン(司祭階級)の一族で

国王バッジョータ王の師であったとされます。

 

このアヴァンティ国は

釈迦のいたマガダ国やコーサラ国からは

はるか彼方にありました。

 

しかしそんな遠い地にも

釈迦の名前は広く伝わっていました。

 

ある時、バッジョータ王は

若き迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)を

呼び寄せて、

 

「釈尊を我が国にお招きしたい。

それが叶わぬなら、教えだけでも知りたい。

迦旃延よ、釈尊をおたずねして、

私の希望を伝えてきておくれ。」

 

と命じました。

 

釈尊のもとにたどり着いた
迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

出家して釈迦の弟子となり

釈迦の教えを王と人々に

正しく伝えるという使命を果たすべく

真剣に学び始めました。

 

そして深遠で難解な教えを理解し

分かりやすく人々に説いて

聞かせるまでになりました。

 

ある時、釈迦が比丘たちに

 

「比丘は外に心が散乱せず、

離散せず、内に安住せず、執着せず

恐れることがないようにと観察すべきである。

以後、これにより、未来に苦が集まり

生ずることはない。」

 

とだけ伝えて、

そのまま精舎に入ってしまいました。

 

意味が分からず困った比丘たちが

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)に問うと

尊者はひとりひとりの疑問に答えながら

解説しました。

 

このように教義を分かりやすく

人々に説き示すことを「論義」といいます。

 

その後、比丘たちが尊者から聞いた内容を

釈迦に告げたところ、釈迦は

 

「迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

よく真理を知る者である。私であっても

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)のように

解説するであろう」

 

と仰いました。

 

こうして多くの人を導いたため

尊者は「論義第一」「広説第一」と

称されるようになったのです。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)が

「論義第一」であったのは

“どうしたら伝わるか”を考え抜いた結果であり

単に説明が巧みであったからではありません。

 

ある時、
迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

大勢の比丘たちと共に

食堂で身の回りの整理をしていると

一人の年老いたバラモンがやってきました。

 

バラモンは年長者である自分は

尊敬を受け、いたわりの言葉をかけてもらい

席を進められることを当然だと考え

これ見よがしに杖に寄りかかって

食堂の隅に立っていました。

 

しかししばらく待っていても

誰も顧みる者はいません。

 

とうとう我慢できなくなったバラモンは

比丘たちに向かって言いました。

 

『おまえたちは、年老いた私に

どうして懇(ねんご)ろにあいさつし

席を勧めないのだ。』

 

それを聞いた

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

答えました。

 

「私たちの教えでは

年老いた方がお見えになれば

みんなで出迎え懇ろにあいさつを交わし

丁重に席をお勧めすることになっています。」

 

バラモンは勇んで問いました。

 

『ならば見渡したところ

この中に私ほどの年寄りはいないようだが

席を勧めないのはなぜか?』

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

答えました。

 

「バラモンよ。

たとえ年を重ねていて髪は白く

歯が全部抜け落ちていたとしても

欲望のままに生きていれば

年少と言わねばなりません。

また若者であっても貪りの心を抑止している人は

りっばな年長者と言えるでしょう。」

 

自らの非を悟ったバラモンは

仏教徒になったということです。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)が

厳しい言葉を投げかけたのは

バラモンの憍慢心(きょうまんしん)を打ち砕き

「聞く耳」を持たせるためでした。

 

無量寿経(むりょうじゅきょう)に

 

“憍慢(きょうまん)と弊(へい)と懈怠(けたい)とは

以て此の法を信ずること難し”

 

とあるように、

憍慢(きょうまん)は大きな妨げになります。

 

しかし、年齢といい、肩書といい

周囲がたとえ見せかけだけでも

敬意を表するようになってくると

おのずと生じてくるのが憍慢心(きょうまんしん)です。

 

法句経に次のような偈(げ)があります。

 

多少聞くことありとて

自ら大なりとして驕(おご)らば

盲人が灯(あかり)をとるが如し

灯が彼を照らせども

自らは明らかならず

 

知識をひけらかし、

うぬぼれる者は

実際には何も知らないのと

同じであるという意味です。

 

“自分はなんでも知っている”と

満足している頭の中には

もはやそれ以上、何も入らないのです。

 

さて、釈迦のものとで熱心に精進し

悟りを得た迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

ある時釈迦にバッジョータ王の願いを告げました。

 

「釈尊よ。私の故郷のバッジョータ王が

“釈尊にお越しいただきたい。

教えをきかせてほしい”

と願っています。」

 

それを聞いた釈迦は

 

『ならば汝が行って教えを説くがよい。

王はそれを喜ぶであろう』

 

と仰いました。

 

尊者は釈迦の御心に従い

すぐさま祖国へと帰りました。

 

しかし

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)が

旅立ってからの時間が王を変えてしまい

かつて“釈尊の教えを聞きたい”と願った王は

異教を進行して釈迦の教えには

耳を貸そうとしない王になっていました。

 

しかし迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

 

“最初に教化すべきは

国王であらねばならない”

 

と考えていました。

 

まず国王を導き

その後に民を導くことこそが

よい国づくりであると信じていたからです。

 

尊者の思いが通じないまま

日々は過ぎていきました。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

何度も国王に命を奪われそうになりながら

諦めて他国に赴くことも、国王に媚びることもせず

機が熟すのを待ち続けました。

 

一方で、国王は

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)を

懐柔(かいじゅう)しようと

樹下に滞在する尊者に

ある日は粗食を施し

他の日は美食を施しました。

 

尊者が何に心を動かされるかを

観察したのです。

 

しかし、粗食であろうとご馳走であろうと

尊者は分け隔てなく受け取り心から満足して

少しも態度を変えませんでした。

 

次に国王がバラモンに同じように

施しを行ったところ・・

 

バラモンは粗食の時には腹を立て

罵詈雑言(ばりぞうごん)を吐き

美食の時は大いに喜び

これを賞讃しました。

 

国王は尊者とバラモンの態度の

明らかな違いに気づき

誰に対してもどのような状況でも

毅然とした態度を示す

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)に対して

次第に尊敬の念を抱くようになりました。

 

こうしたことの積み重ねにより

機は熟し、国王は尊者の話に

耳を傾けるようになり

釈迦の教えに帰依するに至りました。

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

ある時、サミッディという比丘から

“一夜賢者の偈”について

解説してほしいと頼まれました。

 

“一夜賢者の偈”とは、次のような偈です。

 

過去を追うな 未来を願うな

過去は すでに捨てられたものだ

未来は いまだ到来しない

ただ現在をあるがままに観察し

揺らぐことなく 動ずることなく

よく見極めて 実践せよ

ただ今日為すべきことを熱心に為せ

誰か明日 死のあることを知らん

死神と遭わずにすむはずがない

このように見極めて

昼夜怠らずに努める者

かかる人を一夜賢者という

 

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

サミッディ比丘に対して

過ぎたことに執着せず、先を憂えず、

「自分には今しかない」という気持ちが

真の信仰に向かう姿勢である、と

切々と説きました。

 

生とは、今、この一刹那(いっせつな)であり

吐いた息が再び戻ってくる保証はどこにもなく

次の瞬間には死があるかもしれません。

 

今を大事にという心があれば

何事に対しても真剣になり

生きる姿勢も徹底してきます。

 

仏教を故郷に伝える使命を担って

出家した迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)は

常に“今、この場所で、如何にして伝えるか”を

考え続けていました。

 

その熱意が尊者の智慧を磨き

尊者は「論義第一」と称されるまでに

なったのです。

 

私たちは思いを巡らせているでしょうか・・

 

伝わらないからと簡単に

諦めてはいないでしょうか。

 

私たち人は“何もできない”と

様々なことを諦めがちです。

 

ですが、一夜賢者のように

過去でも未来でもなく今を生きることで

今できることに尽力をし、悔いのない生へと
改めていきたいものですね・・

 

私も日々、講師という仕事をしながら

“どうしたら分かりやすく伝えられるか”を

考え続けていくことがとても重要であることを

迦旃延尊者(かせんねんそんじゃ)の姿勢から
とても学ばせていただきました。

 

憍慢(きょうまん)と弊(へい)と懈怠(けたい)を

己の心の内側に持つことなく心を成長させながら

学問を如何に分かりやすくお伝えできるかは

とても重要な精進であるとつくづく感じました。

 

ひとりでも多くの方々と交流ある今を
大切に生きてまいりたいと思います。

 

大切なことはいつだってシンプル。

 

どうぞ今をたいせつに。



 
 

 

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陰陽五行論の理論的学問を用いた東洋哲理を主体とし、主に人間分析学を基軸とする干支暦の学理を学ぶ他、帝王学、選択意識の心理学、腸内からの健康管理法、初めてのビジネス構築の基礎を学びます。
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