普通の夫婦であれば、そんな、会話や思考は生まれない。

犯罪というレベルで、この心があれば、起こることでしょう。社会が悪い、我を阻害しているという、心理圧力です。

宗教というレベルでは、普通に、教祖が信者を洗脳する。それで、洗脳された信者は、突然、第三者へ、邪魔な心、よこしまな心からは解放をさせようという。

普通生活している、家庭では、誰も、そんな心を持っていないし、考えもしない。

洗脳された信者は、自己が解放されたから、第三者へ、信仰心だということで、住宅地へ、出かけて、何人かの人は、それを信じるという現実があります。

わが家でも、話の終わりになれば、邪魔な心、よこしまな心があるから、それからは移封させねば、今後の人生がないという。

このような、言葉を日常的に使用する人は、結局、邪魔な心、よこしまな心から解放されたと洗脳されているが、逆で、邪魔な心、よこしまな心を固守していることを理解していない。

宗教は、教祖を信じて、「邪魔な心、よこしまな心」から、開放されて位なのです。

もし、開放されていると、そな言葉を使用しない。

邪魔な心、よこしまな心を発することで、自己傲慢さを隠している。

新興宗教の発展は、何を意味するか。本当に、誰ば、金を出しているか、!・!?です。