友人は、少ないが、中国で、滞在していた人と親しくして、いつも、お願い事ばかりで、20年です。

相手から、頼まれたことはない。(当然です、友人は、中国で,名誉市民の称号を持っている。中国語で、演説もできる。政府、企業間でも、多数にアドバイスをしている。それでいて、すべてで、友好的行動です。)

一方、考えてみると、自分は、人生すべてで、助けられた人生です。

子どものころは両親に、社会で、出ると、いろいろと人の助けで、仕事です。自分から、人を助ける仕事をしたことはない。

弁明すれば、そのような仕事でなかったということです。

人生50年でないが、人生60年前に会社を辞めて、行く末なく、ぶらぶらという半年です。

それから、今考えると、25年ですね。結局、海外で、助けられた人生です。

自分の成果というと、0です。当然ですね。助けられた人生であるからです。

今では、末期がんで、治療で、今後、緩和ケア―で、助けられる。

この1か月で、新しい人を紹介されて、王さんという人(中国人です。)助けられたことです。

これも、裏れば、20年と言う長い、関連性が、このあたしい人を生んだのです。

名誉市民という友人の力で起こった、助けです。

今日も、助けられることで、行動です。

妻に、言わせれば、私は、人を助けたより、上にペコペコ、下に偉そうだという批判です。(そんな意識がないが。)

多分、自分が、多くの人から、助けられた人生であるという、目線が理解できないのでしょう。

天才でない限り、大統領であっても、首相であっても、戦争する人であっても、すべて、助けられて、成立する症状です。

世の中は、不思議なことで、助けられている思考を欠如している。

権利だ、個人主義だという中で、個人は、助けれられていることを忘れている。(特に国会議員という。)

日本は、災害国で、日本人特有の助けられているという、感謝を持つ機会が多いということです。

中国では、中国5000年で、搾取されたという心境で、個人主義的思考が強くなった。(悪いことでない。)

別の面で、自立という心は、最大に大事で、苦労という、努力を忘れると、人生破滅です。