独裁国でなければ、民主国では、その時々で、国民の叫びで、政策を決定する。

今では、過去の政策が、憲法違反だということで、賠償、補償という。

維持かなところでは、生活保護という政策です。

日本では、自己回復力努力をしなくてもよいという、市民正義思考です、(これは一部の比率でしょうが、報道、有識者の目立ちや発言で)

幼児に援助すれば、少子化阻止できるという、報道です。政策でも、選挙対策で、国会議員全員が、育児補助へ流れている。

子供によい教育ができているのでしょう。

引きこもりも、別の面で、子供の社会接点を排除する政策です。

無菌箱で、生活すれば、安全、安心という、正義思考です。

国家の恩恵は、個人的にも、ありがたいと思う。しかし、機軸は、自己努力と自己仕事でしょう。

人は、機軸は、料理する人であることです。それを忘れた社会では、結局、いつまでも、マスクだ、マスクだという生活です。

徹底的議論という美語に酔いしれている野党議員、一方で、与党は、選挙恐れて、それへ談合する。

国民側でも、防衛が大事だというが、増税は反対だという。

丁寧は説明というが、その機軸は不明で、結局、決断鳴き、永遠の議論社会です。

批判正義というより、決断だけが大事です。

給料上げるという、議論で、今は、給料を上げることであって、議論時でない。連合でも、議論だという。まず、給料上げるということです。(物価が、アンバランスで、値上げでしょう。)