コビッドー19と未来から過去を見る思考なれ!

いろいろの歴史書等を拝読して,何となく、考えると、人は,習慣的に、未来から、過去を見る、それの繰り返しが歴史というようだ。

どうして、人は、過去の人の立場で、未来を見ないのでしょう。

日本の歴史を見ても、縄文時代、弥生時代(地域で、異なるが、大和中心では、銅鐸時代、)、古墳時代という。書物として、西暦8世紀ころです。

縄文人は、どうして、弥生人になったか、弥生時代から、古墳人になったか。

人の価値観というか。弥生時代は、別の面で、銅生産時代で、古墳時代は鉄生産時代でしょう。

縄文時代の人は、土を主人ということでしょう。土器で、芸術的な思考ができた人。その裏では、生活の安定と食料の確保でしょう。

当時、九州は、食料の安定で、なかった。やっと、弥生時代になる、稲作で、土器より、銅というものに価値を、価値でなく、権力を手にした。

豪族の誕生でしょう。魏志倭人伝で、当時、倭国で、王がいたという表現であるが、それは中国からの味方でしょう。

鉄の生産やそれを手に入れる方法を理解した、豪族は、大豪族が誕生して、それを維持するために、鎮守の森という場所。、(日本では災害の強い場所でしょう。)それが、後の神社の立てる場所になる。

銅剣と鉄剣とは、戦い方法が相違する。

日本書記、古事記を表した時代で、魏志倭人伝を知っていたのでしょうか。もし、知っていても、当時の人は、大和人からすると、他国民の話という理解で、卑弥呼を比定することはなかったと考える。

銅鐸が、捨てられたものであると解釈すると、そこに、銅鐸祀る人と古墳時代の人とは、その権力思考が異なる。

縄文人と弥生人は、仲良く氏族であった。古墳時代の初期は別にして、鉄器、鉄剣を持って、地域統一ということで、古墳という物の建設で、工人が多く必要であった。管理層ができたということでしょう。

銅鐸のような、地域維持と鎮守の森を守るという、思想は排除というか、鉄剣を持つ豪族からすると、信仰、奉るというのは、人(神)ということでしょう。

大和思考を信じる人は,どこから渡来したか、日本書紀からは、九州の日向です。(それが、事実か、わからない。タダ、魏志倭人伝を知っていると、そのような神話ストーリーは生まれなかったでしょう。

自分の想像では、大和地域内での豪族でしょう。それでも、その後、天皇系形成で、28代ぐらいまで、強い、近畿周辺の豪族が、結局、伝承の中で、体系化されたのでしょうと考える。

そうでないと、日本書記。古事記に記載されている内容は、美化表現がない。

権力という、力優先ということでしょう。

縄文人、弥生人は氏族中心社会で、古墳時代以後は,鉄剣、豪族、そして大豪族で、王権という文章は、日本書記で、生まれたものです。

鉄剣生産で、膨大な森林を破壊したことも事実でしょう。

人の感情として、農民は,鉄剣生産等での鉱毒で、多くの田畑が害をうけたのでしょう。その反対行動もあったのでしょう。それは武力で、押させるということで、(個の鉱毒も、長い期間でなく、20年ごとで、移動したのでしょう。)

弥生人は、銅鐸祭り、鎮守の森祭りが、禁止された。その代わり、鎮守の森の、安定場所で、神社が建設されたということでしょう。

さて、コビッド19と、どのような関係があるかということでしょう。

コビッドー19で、権力者は、スマホ、アプリで、人民を管理する正当性を言っている。これは、あくまれも、自己権力を維持する手段であって、コビッドー19を克服方法でない。コビッドー19の克服は、自然との共存です。

ウイルスの希釈です。三蜜外食より、歩道外食です。マンション生活より,個人、庭付き住宅です。

それは確保できないというのであれば、人口を下げることでしょう。