昨晩は、疲れたので、9時前に、睡眠した。

夜中に、突然、天皇、皇帝,王、将軍ということばです。起きて、この言葉を紙に書いて、再睡眠した。

なぜか。

明治維新頃、日本は,大将軍時代だ。韓国、中国では、王、皇帝という時代です。

日本は大将軍が排して、天皇(皇帝でもない。王でもない。)

を長とする。

もし、天皇、皇帝,王は同一権限であれば、日本は時代に逆行下変化です。中国、韓国では、流れとして、皇帝を廃止。韓国では、日韓併合です。

今では、韓国では、軍人と庶民の錯綜社会の状態です。

スッキリしない思考です。

中国では、独裁国という、そうでなく、共産主義だという、人民が主人だという思考です。その頂点は、主席という。王、皇帝、天皇という用語を使用しない。

精神的汚職という思考が正義だということでしょう。

台湾は、大統領制度で、選挙で、戦っている。

中国は,長という主席がいる。(仮に言うと,王、皇帝です。)

日本は、戦後、帝国という天皇を廃止、庶民の象徴という身分の天皇が存在する。権限のない長です。

中国は皇帝の子孫が存在するが、(発言する系図がない。主席の孫という表現が生きている。)

朝鮮は、どうか。中国と同じく,王の孫が存在しない。朝鮮では、孫という思考がある。その面で、中国と同じようだ。

少しそれて、アメリカは、孫は存在する。その面で,王が存在しない国だ。

朝鮮国は、一国だという思考は、中国の朝貢での結果であって、朝鮮民族は三国思考から、開放的戦いが終わっていない。

庶民思考で、朝鮮人は一国に統一できるという思考という期待があるが、それは、庶民思考のようだ。長を失ったというより、もともと,朝鮮民族は長が存在しない国のようだ。

信長思考、西郷隆盛思考の人を排除する戦いが必要だということでしょう。朝鮮人の庶民同士が戦い、その結果、誰を長にするかでしょう。朝鮮人が戦わず、庶民の思いだけで、朝鮮統一は存在しないでしょう。

王、皇帝、天皇という,長が存在しない国は別の面で、不安定であるようだ。

庶民が出来すぎると、100人の王が存在する状態になるようだ。不満があっても,長という概念を受け入れなければ、よくないでしょう。下から、言うと、乞食は村の治安維持に必要だという、逆正義が必要だと考える。