戦中生まれ、私は戦中生まれです。それは事実です。一方で戦争し、一方で、新生命が生まれているのです。

戦後直ぐであれば、「歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。謝ることは恥ずかしいことではありません」というのは理解できます。

それは東京裁判や外地の裁判で結論が出たことでしょう。

戦中生まれや、戦後生まれの人々が、「歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。謝ることは恥ずかしいことではありません」な発言をして、生活の糧や自己満足の正義を言う心境が理解できない。

戦勝国の人々も、そのことで、鬼の首を獲ったことを言うことも理解できません。

それも、戦後50-60年たって、声高く言う心境は、普通の神経でないでしょう。

其れには二つの理由があるのでしょう。

1、レーニン思考の正義の復興です。韓国の大統領が言った1000年の恨みです。それを言った結果、大統領が罷免された。歴史の皮肉です。

  それを促進したのは、正義より、レーニン思考です。悪は人命、人権より、死をもって排除するという思考です。

2、法政を無視していより市民の立場の人が豊かになった結果です。この傾向は世界中で、起こっている現象です。大学紛争の再現で、長の立場の人の反逆です。それは豊かであって、失うことがない人が正義をさけぶ時代です。

 この豊かさを築いた人の苦労を見ないで、法制と既得権を排除するという名の改革です。

身を切る改革という政党(集団の人)、これを叫んでいる人は身を切ることを太に求めているのです。まさに魔女狩りという様相の世相です。

 大阪では,維新の会下でも、小学校認めない運動、おかしな理屈です。東京では、築地問題です。その県では、基地反対、原発反対という。

戦後生まれの人が南京大虐殺ということで、自己正義を発言することは、別の面で、犯罪でしょう。真実は当事者でなければ、解りません、。戦中、日本軍が一般市民を殺害したことは想定できます。それは今の戦争であって、理解できます。

今の武器は、軍人が死なないための武器であって、市民を殺害する武器です。

無人飛行機の開発、ロケットの開発はそうでしょう。

中國で、電動バイクを運転している。それで、最大の注意事項は1000%事故を起こさない運転です。そのため、追い越しをしない注意運転です。それでも、逆に、追突される危険性がある。青信号でも、赤信号でも横から侵入して来る人がいます。中國では老体の老婆が電動バイクで信号無視をする。それを考えて、老婦人がいれば、スピードを落とすという必要があります。中國では、絶対交通事故を起こさないという用心が必要です。日本では車は運転しません。歩くか、電車、時にはタクシーを乗ります。

中國デ、交通事故を起こすと、対応出来ないからです。