日本人は、経済発展に慢心の努力をした。又、そのように考えている。
それは国内だけの傲慢な行動であった。
そのことについて、環境面から検討する。
原発災害は災害を受けた人々は、怒りがことばで表現できないでしょう。
この災害から克服するには、多数の新しい技術が開発されるでしょう。それが環境改善という武器になり、
新しい時代を構築するでしょう。
われわれは、多くの環境災害で、多数のマイナス生活を経験して、それを克服した。
しかし、災害で、障害を受けた人々の心は癒すことは無いでしょう。

広い見地から、日本人は、環境問題を克服したというより、海外へ移転させたということが出来る面があります・
良いところ取りの豊かさを満喫したと考えます。
災害を受けても、それなりの保証を手に入れた。

海外では、輸出された公害で、悩んでいる地域は多くあります。
ジーパンの染色で汚染された河、貴重金属の精製で出た毒素の汚染、これらは、日本では封鎖することで、表面的環境を解決したという。

文明は、汚染の希釈かで形成されていると考えます。
文明の最終は、地球全体が、均一な汚染地域になることでしょう。

津波による破壊物の回収は、それなりの汚染を集めるでしょう。それをどこへ持っていくか、それも反対運動が発生している。(正義の反対でしょう。しかし、弱者からすると、贅沢な反対運動であるでしょう。弱者は発言する権利は有りません。)
原発災害に限定すると、、人類に貴重な技術や情報を与えるでしょう。
日本では、克服することへの努力をする。(一部の海外では、克服するのでなく放置することで解決させようとする。)

公害危険物は海外へ持っていくことで、環境を解決したと天狗になったようですね。
原発災害は海外へ持っていけません。国民全体で解決することでしょう。
自分だけ良いとこ取りは出来ないのです。

天然災害は、自分だけ良いところ取りは出来ないのです。

安いよいところ取りは、高い買い物であることでしょう。
高級住宅地といわれる地域でも、天然災害がある。
新規開発地は、歴史的に安全性は証明されていない。
石垣のある土地では、長雨があると、崖崩れが心配ですね・
山地の埋立地は安い、しかし、地すべりの危険性がある。

物事は、すべて、他に保証は求められないのです。
原発で、有識者は1000年前に津波が有ったということで、非難する。
他人事であるから非難するが、別の視点では、津波の発生する地域で生活した人を非難していないでしょうか。

弱者は、今の生活が必要です。。1000年先を考えた生活を考える財力は有りません。