今までの水泳人生、きついことばっかりで残しときたい思い出なんか片手に収まるくらいしかなかったのに、この数ヶ月、水泳人生ラストイヤーにして、立て続けに一生もんの思い出できまくって死ぬまで覚えてられる自信ない。
今年はなかなか同期がラスト前ブログ書かないので、先陣切ってラストブログ前編書かせていただきます。
幼少期から高校水泳までの出来事をダラダラ書いてたら持田の話くらい長くなっちゃったので、めんどくさい人は最後のまとめまで飛ばしてもらって大丈夫です。
本日のブログは四年の益子です。
忘れないうちにお題に答えておきます。
「自分が最上級にかわいく映ってる写真三選」
とりあえず、覇気が出てる写真貼っときます。
ちょっとだけ、可愛いのも。後で自分の水泳史の振り返りする中にもちょっと貼っときます。
明日のブログのここみのお題も先に済ませておきます。
僕が昨日のブログで覇気があると書かれてましたが、僕からしたらここみさんの方が覇気はすごいと思います。
初めて見た時の「私、インカレスイマーなんで」っていう顔しながら肩で風を切って歩いていた姿は忘れられません。
そんなここみへのお題は「覇気がすごい/覇気がない部員トップ3の紹介」です。もちろん、自分のことを含めてもらっても大丈夫です!
では、本日のメニューです!
ショート自分作
ミドルしゅーほ作
ショートはいよいよ夏本番に向けてしっかりスピードを出せるようにしていけてればよかったんじゃないでしょうか。
ミドルはボリューム多い中よく頑張ってたと思います。
では本題のラスト前?ブログ行きます!
自分の水泳史を高校まで振り返ってみます。えぐい長いので、忙しい人はスキップしてください。
僕が水泳を始めたのは3歳の時です。
お風呂で顔に水がつけられない子供だったので、無理やり親にスイミングスクールに連れて行かれました。
今はイトマン平塚その前はダンロップ平塚だった、その前身のキッツ平塚です。
まさか、このチームで22歳まで続けるとは思わなかったし、2回も買収されてチーム名が変わるとは思いませんでした、、、
はじめは水泳が嫌で嫌で仕方ありませんでした、顔に水つけられるし、溺れそうになるし、、
今でも顔に水つけたくないので背泳ぎやってます、別に他の種目ができないからじゃないですよ??
たぶん幼稚園くらいの時に水泳嫌すぎて一回やめた気がしなくもないですが、なんだかんだ小2の時に選手コースに誘われました。
写真は小3の時ですが、当時のキッツ平塚です。
元々、人と競うのは嫌いじゃなかったし、選手以外の人が出るキッツ選手権みたいので25m背泳ぎで2位になってちょっと水泳好きになったんだと思います。
この頃から背泳ぎが得意だったんですね。
ちなみに、現在イトマンで見てもらってるコーチはこの頃から知り合いでした。すごい可愛がってもらってた覚えがあります。
このコーチから選手コースに誘われてたら美談になってたのですが、ちょうどこの時期にコーチが異動で別の店舗に行ってしまっていて他のコーチから誘われました。
後出しで選手として速くなってから、ゆうたは物分かりがいいから選手向いてると思ってたよと言われた気がします。。
選手に入ったらまた水泳が嫌いになりました。
練習がきつすぎて週に何度も頭痛いお腹痛いで休んでました。その時に当時はフロントの人に電話して「益子ですが頭痛のため休みます」とかって連絡してたけど、その当時のフロントの人が今でも働いてる気がするんだよな、たぶんこの歳まで水泳続けてるの見てびっくりしてるだろうな。
練習のやり方も本当に酷かったですね、きつい練習が始まったら、とりあえずトイレに行って、ラスト一本になったら現れてめちゃくちゃ飛ばすみたいな、なんでやめずに続けていたのかが不思議です。
それでもなぜかほぼ毎週、父親と市民プールに練習は行ってた気がします。きつい練習させられなくて、何本かハードするだけだった気がするから楽しかったんですかね。
父親は全く水泳素人でしたが、アドバイスよくくれていました。とりあえずテンポを上げろってことです。今となってはテンポしか取り柄がない選手になってしまいましたが、、
そのおかげもあってか、小学四年生の時、たぶん初めてくらいに個人で出た県大会でテンポのおかげだけで50m背泳ぎ優勝しました。
その時はエントリーがたしか2番で表彰台立てたらいいなくらいに思ってたので、びっくりしました。ちなみに2位はユニバ代表の森くんです。彼とはこの時からライバルになりました。
写真は翌年の5年生のときに森くんに負けた時の表情式の時のです。
たしかここら辺でキッツからダンロップに変わったと思います。
小4の春のJO予選では、初めてJOが手の届く位置に来たけれど、切ることができませんでした。この時、人生で水泳以外も含めて、初めて悔し泣きしたと思います。
ただ、僕は悔しかったから頑張ろうと思えるようなガキではありませんでした。それ以降も練習はサボり続けました。本当にどうしようもないです。
小5からは中学受験のために塾に行く機会が増えて、自然と練習に行く回数が減りました。本当に嬉しかったです。そのおかげか、週に数回しか行かない練習はちょっとだけ頑張ろうって思えるようになりました。
小5の時はJOは出れました。切った時、人生で初めて嬉し泣きした気がします。けど中学受験のためにJO出てそこで引退しました。
全然ここで水泳やめてもよかったんですけど、なぜか受験終わった後にまたダンロップに行って、2週間くらいだけ練習して、JO予選に出ました。
そしたらなぜかJO切れちゃいましたね、受験期に身長伸びたのかもしれません。
その年のJOですごい速く泳げちゃって、12位と13位でした。ここで自分のことを天才スイマーだと勘違いしたのが、衰退への始まりでした。。。
さすがに一年泳いでなくて、1ヶ月ちょっとの練習で12位までいけたら、中学生になったら決勝常連になるだろうって錯覚します。甘かったです。ただ少しテンポが早いだけで水泳の基礎が全くできていない天狗が出来上がりました。
中学生になったらなぜか勉強のモチベーションがとても高くなり(中1の頑張りの惰性でここまできてます。)水泳をおろそかにしすぎました。
野球部に入り、たしか最初はキャプテンをやってて、毎日野球部の朝練、昼練、放課後練に励んでました。
勉強はここで作ったリードを高3までなんとか保った感はありますが、野球からは何も得てない気がします。
本当なら体力ついたとか動き上手くなったとか綺麗事書きたかったんですけど、野球部で得たのは、大腿四頭筋と、今でも年に何回か一緒に旅行に行く仲良い野球部同期くらいですかね。
中1の時は最終予選でギリギリJO切れました。勉強と野球をかなり頑張ってたので、ここでJO切れなかったら水泳やめようと思ってたのに、切れちゃったせいでぐだぐだ続けることになってしまいました。
中2は初めて全中予選出ました。中1の時は学校に水泳部がなかったので、出ることができませんでした。
県で6位でギリギリ関東行って、なぜか大ベスト出て決勝残りました。この時、今のチームメイトの天才スイマー葛西くんと初めて話したと思います。とんでもなくおもろいやつで速くて尊敬してたと思います。
中2まではギリギリJOも切れてました。この時はリレーでもJOいきましたね。最終予選の前の週の時点で10秒足りなかったのに、1週間みんなで死ぬ気で練習して、チャレンジして切ったのは本当にいい思い出でした。
ただ、このJOが自分にとっての最後のJOになりました。中3以降はJOに出れてすらないと思うと本当に悲しいですね。
たしか、中3の時に初めて、当時はまだ可愛かった水野くんに出会いました。中高一貫校で水泳やってる人は珍しかったし、同じバックだったから知ったんだと思います。
中3の時には全中は出れました。もちろん100だけです。200は全中予選すら出ませんでした。さすがに部活でもないのに学校の先生に引率してもらってあんな200は見せられません。
全中は外プールで泳ぐのが難しかったです。この時、葛西くんとは同部屋だったと思います。楽しかったです。
あと、慶応の山浦くんが1フリで3位取っててまじでかっこいいなって憧れました。あんなやつだとはこの時は思いもよらなかったです。
中3の秋からは野球部が高校チームに混ざってやることになって、水泳か野球か迷いましたが、野球部の顧問が無理すぎてやめました。英断でしたね。
高一の4月の長水路の試合で、1バック59.4出しました。憧れだった柳川くんと初めて一緒に表彰台立ちました。
たぶん高一にしては結構速くて、県のランキングも一位になって、国体のメディカルチェックまで行ったんで、自分が国体に出るもんだと思ってました。
でも、神奈川の同期には小方がいたので、小方がS4なのに国体でバック泳いでました。メリレは大会新で優勝してて本当に悔しくて自分が出たかったなって思ってました。でも、自分が出てたら東京に負けてたし、今の自分よりも当時の小方の方がちょっとだけ速いんで仕方ないです。
高校一年の時は学校に部活がなくて、先生たちとちょっと揉めて?県高校に出れませんでした。
県高校にも出れないし、国体も出れなくて、やる気が無くなりかけてたときにコロナがやってきました。
春のJO予選は自分史上最大に仕上がってたのにレースの数日前にコロナで中止になってしまいました。
そのときに、出れなくて悔しいと同等くらいに、レースに出て遅い結果を見なくていいって安心しちゃいました。完全に終わりです。
高2はヘルニアにもなっちゃったし、コロナでほとんど泳げてなかったのですが、それが逆によかったかもしれなかったです。ちょうどコロナになる前くらいから、自分に「考える水泳」を教えてくれた恩師が担当してくれるようになって、コロナ禍で泳げないときはずっと水泳のことを教えてくれました。
泳法のこと、食事のこと、メンタルのこと、水泳の基礎となる全てを教えてくれました。ここで教えてもらったことも生きているんですけど、ここで、「考えて水泳をする」っていうことを教えてくれたことが、自分の大学水泳に大きな影響を与えてくれたと思います。
コロナで泳げなくなると急に泳ぎたくなるもので、このくらいの時期から水泳のモチベーションも少しずつ上がっていきました。
高2の冬には人生で初めて県合宿に参加しました。それまでも行く権利はあったけど、きつい練習が嫌すぎてずっと避けてきました。この合宿に参加したことも転機だったと思います。
高一の4月に59.4出してから全くベストが出ていなくて、何のために水泳やってるかもわからなくてなってましたが、この合宿は全国大会で活躍する選手ばかりで、自分ももう一回、全国大会に行きたいって思うようになって、本気でインハイ目指すようになりました。
担当してくれたのはイトマン港北の谷口先生で、行くまではクソきつい練習させられるかと思ってたらすごい楽しい練習してくれて、水泳のこともいっぱい教えてくれて、先生の人柄的にもみんなとすごい仲良くなれました。
インハイに出るためには県高校に出なくちゃいけなかったので、学校の説得をめっちゃ頑張りました。プールもないのに無理やり水泳同好会作らせてもらって、引率してくれる先生も探して出させてもらえることになりました。
でも、関東高校で標準タイムが切れなきゃインハイには出れません。関東までの三試合くらい続けて0.02とか足らずに切れませんでした。
県高校が終わってからの1ヶ月、コーチとマンツーマンで練習したりもして、本当に死ぬ気で水泳に向き合って練習しました。
関東高校はまじで人生で一番緊張しました、今でも緊張しそうなことあったらこれよりはマシだろって思って切り抜けられてます。
もしインハイ切れなかったら、留年したらまた出れるのかなとか、いっそのことコロナで関東もインハイもなくなっちゃえばこんなきつい思いしなくていいのにとかすごいいろんなこと考えてました。
関東前の1週間は毎晩、インハイ切れたり切れなかったりする夢見て、飛び起きてました。
関東高校の朝は家から栃木までお父さんに車で送ってもらいました。ホテル泊まったら緊張で寝れなそうだし、電車で行くのも疲れちゃうからお願いしました。
正直、関東の1バックの日の記憶は全くありません。どんなドライしたかとか、どんなアップしたかとか、レース中の記憶も曖昧です。
スタートミスって終わったーと思ったけど、ラスト15mくらいはなんか自分のことを上から見てる気がして、自分のこと応援してるみたいな、そんな感じがしたと思います。
結果的にはインハイ切れましたが、切れた時のこともあまり覚えてません。インハイ切っただけでガッツポーズとかすんの恥ずかしいからやめておこうと思ってたのに、思いっきりガッツポーズしたような気もします。
大学入ってから吉晴に言われたんですけど、吉晴が自分の後ろの組の同じコースで、おまえも頑張れよって言ったらしいです。全く記憶にありません。
覚えてるのはそっから先です。コースの脇で仲良かった友達たちが出迎えてくれて、それ見た瞬間涙止まらなくなって、みんなで一緒に泣いてました。
大学入ってからも何本かいいレースあったけど、まだこれを超えるのはありません。あと少ししかレースはないけど、どこかで超えたいですね。
インハイ本番は全然泳げなかったです。燃え尽きちゃったわけじゃなくて、変な入り方してたんでしょうね。行きも帰りもコースロープぶつかって、シーズンで一番遅かったし、高一の時よりも遅かったと思います。
これくらいの時期までは大学の進路についても全然決めていませんでした。高校入ってから水泳が好きになり始めてたので、水泳が速くなれるところに行きたいなって思ってました。
インハイくらいまでは真剣に海外の大学に進むことも考えてました。でもTOEFLの点が足りなかったので諦めました。
あとは、神奈川の同期がインハイで活躍してるの見て、自分もインカレで活躍したいって思うようになったり、一緒に大学水泳やろうって言ってもらえたのが大きいと思います。
東大に決めたきっかけもインハイですね。もう時効?なので、いいかと思うんですけど、インハイではKO大学の方たちにすごい良くしてもらって、KOにおいでっていう話を受けてました。
それと同時に東大水泳部のことも教えてもらって、元々、大川さんっていう速い人がいたのは知ってたけど、大川さんが大学で爆伸びしたこと、富永さんとか岡崎さんの存在も知って東大の考える水泳っていうのはすごい自分に合ってるし、東大なら自分がもっと速くなれる可能性があるかもって思うようになりました。
こんな感じで僕の高校水泳は幕を閉じました。
本当に長くなりました。
まとめです。
何回もやめるタイミング、移籍しようと思えばできるタイミングはあったけど、今のクラブで続けてきた。
たぶんこのクラブじゃなかったら、途中でやめてたと思うし、こんなに水泳好きになることもなかったと思う。
続けさせてくれて、水泳好きなことに気づかせてくれてありがとう。
最初に今まで水泳の思い出なんかほとんどないと書きましたが、高校までの水泳の思い出は初めてのJO、リレーでJO、全中、インハイくらいでしょうか??
一緒になって喜んでくれた人がいたからほんとに嬉しかったけど、ほとんどは個人のことばっかりで自分が速ければそれでいいって感じでした。
大学入って本当に自分のためだけに水泳やってるんじゃないんだなっていうか、チームのため仲間のために泳ぐって機会がすごく増えたし、本気で応援したいって思える仲間が周りにたくさんできてすごい幸せです。
せっかく20年近くかけて大嫌いだった水泳が大好きになったので、あとちょっと満喫します。
画竜点睛













