まずはじめに。

統合失調症のブログとは書いてあるものの

ここに統合失調症を治すための日々が書いてある訳ではない。

 

そして治療を頑張っている日々なんていう普通の人の

感情を揺さぶるようなことを書いてある訳でもない。

 

大して面白くもない、とある一人の統合失調症患者の酷く身勝手で

ネガティブで鬱々とした考えや思考を吐き出してあるだけのブログだ。

 

これを読んで気分を害しただとか、そういう類の言葉を吐く前に、読む前に今一度きちんと自分が求めている内容を考えてほしい。

ここに書いてあるのは人に向けての恨み言だとか自分に対する嫌悪だとか

そういった汚い気持ちの悪い言葉だ。決して良いものではない。

 

それを踏まえて尚、そういうものを読みにきたのだ、という人だけ読んでほしい。

 

ぐちゃぐちゃの考えに塗りつぶされてしまった私が、

心の整理のために吐き出すためだけのブログ。

 

そして、別に誰に読ませるでもない。

けれど誰かに知ってほしい。

その誰かは誰でもいい。

ただ誰かに知って欲しいだけ。

 

そう言う意図のブログである。

 

 

 

 

 

 

 

うつ病なんて統合失調症なんて甘えだと言われてきた。

それも昔のことで今はネットが普及して一部の人たちが調べると言うことを知った。

それによって少しずつだが改善されてきている。

実際に患った人の言葉を聞く人が目に見えて増えた気がする。

 

もちろんそれは気のせいであったり、相手の外面であったり、心底理解しようとする人なんていないし、勿論患ったことのある人でさえこの『病気』を否定する。

 

「鬱や統合失調症なんて気のせい、甘えである」

 

患ったこともないくせに、とは思う反面、

その言葉に否定の言葉を返すことは、私には出来ない。

 

何故なら私もまた、患ったにも関わらずそう思うからだ。

2017年の6月から2018年7月現在まで、一度も仕方のないことだと思ったことはない。

約一年間ずっと自分で自分を許すことが出来ないが故に、身の回りの人たちに許して欲しくて生きてきた。

しかし、

 

『何も出来ない』=『何もしない』

『何かが出来る』=『全て出来る』

『調子がいい』=『全て治った』

 

そう言う風に捉える人が多い。

そう言う風に捉える人たちの中で、そう言う環境で生きてきたからこそ

『普通』と言うものができない自分が気持ち悪い存在であり、

ダメな存在であり、酷く滑稽でゴミの様な人間だと思う。

 

では『普通』とは何か?

と言う言葉には返せる答えがない。

皆が皆それを『普通』だと言うと思わないし

常識の範囲は人それぞれなので返せるわけがない。

 

 

患う前、私は精神病について

 

「まあ、仕方のないことだけどもうちょっと頑張れないの?と思うよね。

 外に出かけられてるしただ怠けてるだけでしょ、とも思うときあるし、難しいわー」

 

という話を知り合いとしていた。

勿論患った今もそう思う。

 

ただ実際、頑張れない時はちょっとも頑張れないし、

外に出かけられるのは一、二週間に一回だとかそんな頻度なわけで。

風呂だって長い時は五日程入れなかったりもする。

汚いなと思いはすれどシャワーすら入る気力がない。

楽しいことがあって笑っても楽しいと思うことすら精神病を患っている私には

ダメなことなのではないかと不意に思ってしまう。

 

頑張ったところで出来ないことは出来ない。

頑張ろうとすることすら、頑張らなければいけない。

その頑張ろうとすることを頑張ることすら頑張る、そのループ。

 

そう言う状態なのだ。

 

今まで普通に生きてこられたのではなく、

今まで何かしらの手段で普通を装って生きてきたが、

その何かしらの手段ですらとうとう自分を救えなくなり、

一気に致死に至った人たちが私たち統合失調症、もしくはうつ病患者なのだと思う。

 

 

勿論何度も死のうかと考えたものの『誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法』が思い付かず今までこうして生きてきてしまった。

結局死んだら(行方を眩ませても同様に)医者や警察が動くので誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法なんて一切ないのだが。

 

私の希死念慮は小学生の頃から発症している。

そしてそこに自殺願望が混ざったのは大体高校生のときくらいだろうか。

 

小学生のうちは、「いつか死のう」「大人になる前に死のう」と言う

何とも漠然とした『とりあえず死んでみよう』と言う浅い考えだったものの、

それも

「中学入学する前に死のう」

「高校入学する前に死のう」

「大学入学までに」

「大学卒業までに」

「働く前に」

「仕事が落ち着いたら」

「仕事を辞めたら」

「次の仕事が決まる前に」

となんだかんだ引き伸ばし続けついには24歳まで生きてしまった。

別に何か理由があって死ぬわけではないが、私が死ねばこの世の中で楽できる人がいると思うと非常に魅力的なものだと思う。

これは私の昔からの考えなので変わることはないし、

何か言われても、「お前は私ではない」としか言えない。

 

死のうと考えているだけなのに責められるのは釈然としない。

死のうと考えただけで迷惑もかけていないのに何故それほどまでに私の考えを否定されなくてはいけないのか。

「貴方が死んだら悲しむ人がいる」などと言う脅迫めいた無責任で自己中心的な発言はどう言う考えを持っていたらできるのか。

 

幼い頃から常々思ってきた。

 

人を殺してはいけない理由。

自殺してはいけない理由。

人を虐めてはいけない理由。

人と仲良くしなくてはいけない理由。

 

当たり前のことなのだろうが、何となく理解はすれど納得のいく答えが見つからない。

勿論、理由がわからないからといって人を殺したり虐めたり仲良くしないと言うことには繋がらない。

 

けれどいまだに納得のいく答えが見つからない。

何の為に生きていなくてはいけないのか。

統合失調症になり音や視線に敏感になったり、人のいうことが全て嘘に聞こえたり、悪口を言われているような被害妄想があったり、大きな音が嫌で掃除機もドライヤーも、最悪洗濯機も回せなかったり、幻聴幻覚に耐え一人きりが怖いのに一人きりの部屋にじっと閉じこもっているだけの人間がどうして生きていなければいけないのか。そんな底辺過ぎる人間に何故人は死んではいけないという言葉を吐けるのか。生きていれば何か良いことがあるとしてその良いこととは具体的に何だろうか。再び普通に生きていくことができることが良いことなのだろうか。宝くじが当たることが良いことなのだろうか。良い人と巡り合って家庭を持つことが良いことなのだろうか。良いことなんて勿論その人に寄ると思うのだが良くそんな不確定なことを平然と人に向かって吐ける。どういうメンタルしてるんだ。最早この世界に私にとっての良いことなど存在しているのだろうか。

 

私が死んだとて支障を来す訳でもなければ何か不利益を被る訳でもないのに

こうして死なないようにと良い人の皮を被って近付いてくる人間と言うのは

何を目的に何の為にどう言う意図で、と考えてしまう。

 

勿論これは私が捻くれているからでありきっと真っ直ぐすくすく生きてきた人間にとっては何でこいつはそんなことでこんなに考えているんだ?と思うことだろう。

そういった人を何人も見てきたし何十人から言われてきた。

その度に所詮こいつらは私と違って普通に生きていけるマイナスではない人間なのだと痛感させられた。

同時に自分はマイナスの人間であると言うことも。

 

褒められたら生きていて良いと許可されたようで涙が出る。

人に頼ると自分が普通には生きていけないようで涙が出る。

頑張っている人を見ると自分には出来ない事だと涙が出る。

 

私は何の為に生きているのだろうか。

 

 

ここまで酷く乱雑な文章を書き綴ってきたが、別に誰かに向けて書く言葉でもなく

誰かにわかってほしいと思い書いたわけでもない。

 

冒頭にも書いたがもう一度書こう。

 

ぐちゃぐちゃの考えに塗りつぶされてしまった私が、

心の整理のために吐き出すためだけのブログ。

 

そして、別に誰に読ませるでもない。

けれど誰かに知ってほしい。

その誰かは誰でもいい。

ただ誰かに知って欲しいだけ。

 

そう言う意図のブログである。