聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのよう なものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、 または、あのことをしよう。」
―ヤコブ3:13~15-
苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐 のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。
―ヤコブ4:10~11-
義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が 降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天 は雨を降らせ、地はその実を実らせました。私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻 すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出 し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。
ヤコブ書の学びも後半になりました。今週は主に三つの教えを学びましょう。一つは人生の計画の中心に神様を据える事の大切さです。当時の商売人達の中には莫大な利益を上げている人々もいたようです。しかし、私たちのいのちを握っておられるのは神様であることを忘れないように歩むべきであることが語られています。二つ目は試練と信仰についてです。これはヤコブ書が書かれた目的でもありましたが、迫害が強まりつつある中で、試練の中で神様からの励ましと支えをいただき、試練の後に大きな祝福が用意されている事を忘れないように歩むように勧められています。その点で旧約聖書のヨブの姿は大きな模範と励ましになりますね。三つめは祈りについてです。祈りは救われた者に与えられる大きな特権です。祈りは一見すると小さなものに思えますが、旧約聖書の預言者エリヤは祈りによって天変地異をもたらしたように、大きな奇跡と祝福をもたらす無限の可能性を秘めています。また、祈りには弱った人を癒し、励まし、信仰から迷い出てしまった人々を正しい道に連れ戻すためにも大きく用いられます。私たちは神様から与えられたこの祈りという賜物と働きを最大限に用いる者になりたいと思います。皆さんの人生の中心には創造者なる神様はおられますか?