このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。                                                           ―ルカ6:12~16-

今週からしばらく、イエス・キリストの12弟子達から学んでいきたいと思います。イエスはご自分の側近くを歩み、全てを教え、そしてその意志を継ぐ者として12人の弟子たちを選出しました。12人を選ぶ中にはイエス自身の熱心な祈りがあった事も見落としてはいけません。
比較的最近初期の弟子たちが加えられていった記事を取り上げましたが、ここに書かれている12弟子の中にはよく、名前が知られている人もいれば、そうでない人々もいます。弟子筆頭のペテロ、弟のアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟、ピリポ、トマス、ナタナエル、マタイ達には個別のエピソードがありますが、名前ぐらいし紹介されていないような人々もいます。小ヤコブとタダイは、忘れられた弟子達とも言われています。しかし、普通に歩んでいたなら、イエスに選ばれなければ絶対に出会うはずがなかった人々であった事は確かです。また、彼らはそれぞれ、強烈な個性を持っていた人々でもありました。それぞれ違う背景や個性を持っていたが故にしばしば争いや対立も起こっていた事も聖書はありのまま描いています。ある意味において、曲者ぞろいで、この世的には優秀ではなかった人々でしたが、イエスは一人一人を尊び、豊かに用いられました。私たちはそのイエスの器の大きさと懐の深さから多くの事を学ぶ事ができるのではないでしょうか?聖書を読んで、自分はどの弟子に似ているのか?を考えてみるのも面白いかもしれませんね。