兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。                                                     ―Ⅰコリント1:26~29-

 今週は父の日でしたが、すっかり忘れていました・・・毎年お届けしている放蕩息子のお話は来週取り上げます。今週は神の選びの不思議とあわれみについて、また、偉大な父を持った二代目について考えてみましょう。先日、大河ドラマで、織田信長が鉄砲3000丁を投入し、武田軍を完膚なきまで打ち倒した長篠の戦いの回がありました。戦国最強武将と名高い武田信玄の息子の勝頼の苦悩も掘り下げて描かれていました。偉大過ぎる父の後を継ぐということはとてつもない重圧だったと思われます。聖書の中にも偉大な父親を持ち、自らの無知と未熟さの故に国を弱体化させてしまった人がいます。それはソロモン王の息子のレハブアムでした。イスラエル王国はダビデとソロモンの時代に最盛期を迎えましたが、重税と度重なる戦いによって徐々に疲弊していました。また、ソロモンが多くの外国人の妻をめとった事で、偶像の神々と真の神への信仰が曖昧になってしまいました。ソロモンは神様からの言葉に聞き従わず、王国の分裂を招いてしまいました。北イスラエル王国、12部族中の10部族を束ねる王となったヤロブアムはもともとソロモンの部下でした。彼は手腕家で、短期間で勢力を拡大させました。それに対してソロモンの息子のレハブアムはソロモンに長年仕えた知恵のある老臣達の進言を退けて、自分にとっても都合が良いことを語る若者達の意見を尊重しました。その結果、王国は引き裂かれ、南ユダ王国は全盛期の半分以下まで弱体化しました。人間的にはヤロブアムは有能な人でしたが、彼には神を恐れる心がありませんでした。目に見える繁栄は北イスラエルにありましたが、霊的な祝福と信仰は南のユダに残されました。これは神様のあわれみ以外のなにものでもありませんでした。神様は人間的に有能なヤロブアムよりも、無能で愚かなレハブアムを祝福の器として選ばれたのです。冒頭のⅠコリント1:26~29にあるように、神様はご自身の栄光をあらわすために、あえて弱く小さな器である私たちを選び、用いられます。私たちはその神様のみわざに心から期待する者になりたいと思います。私たちは弱いからこそ、足りないからこそ、それを補って余りある神様のあわれみを受ける事ができるのです。皆さんもその神のみわざに期待したいとは思われませんか?