預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。家にはいったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」 そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」                                              ―Ⅱ列王記4:1~7-
5月の第二週は母の日です。はじまりはアメリカ人のアンナ・ジャービスさんが教会で、日曜学校の先生をしていたお母さんを偲ぶ会が開かれた時、お母さんが好きだった白いカーネーションを参列者に配った事がきっかけだと言われています。日本では大正時代、お菓子会社の行事がきっかけになって、広まったと言われています。家族を愛し、守り、いつも気にかけているお母さんの愛は神様の愛に最も近いものであるとしばしば言われます。
ある時、預言者エリシャの同僚が亡くなりました。残された家族には多くの借金があり、子供たちが奴隷として連れていかれるかもしれないという危機的な状況に陥っていました。神様に忠実に仕えていたのにもかかわらず、このような状況に家族が陥ってしまっていた事には、何とも複雑な思いを抱かざるを得ません・・・家に残されたものは油のつぼが一つだけでした。エリシャは近所からつぼを借りてくるように伝えました。ドアを閉めて、油を注いでいくと、不思議な事が起こりました。油は尽きることなく注がれ、借りてきたつぼは満たされていきました。エリシャはその油を売って負債を返すように伝えました。まさにこの奇蹟は、どん底からの大逆転、あふれるばかりの神のみわざでした。私たちはこの出来事から神様に忠実に仕える人は決して祝福と報いから漏れる事はないことを教えられ、励まされるのではないでしょうか?今も昔も、お母さんは家族への愛と関心の故に、様々なことを気にかけておられます。時にはここに出てくるような、現実的な心配と向き合わなければいけない事もあると思います。その時、心が生きて働いておられる真実な神様に向けられるなら、幸いです。私たちはお母さん方が真の神様を信じ、救われる事を心から祈り願う者になりたいと思います。また、お母さんを与えて下さった天の神様に心から感謝しましょう。