モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い 所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十 五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった 月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであっ た。
                                 ―エステル9:20~22-
後に、アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役を課した。彼の権威と勇気による すべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤ の王の年代記の書にしるされているではないか。それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエ ロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の 民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。                                   ―エステル10:1~3-

ハマンは当初優位な立場にありましたが、今やモルデカイの力はハマンをはるかに凌ぐほど圧倒的なものになりました。ハマンはエステルが催した宴会に呼ばれると、その席でエステルから悪しき計画の全てを暴かれ、王の激しい怒りを招きました。ハマンはエステルに命乞いをしましたが、それも裏目で出ることになり、皮肉にもハマンはモルデカイを亡き者にするために用意していた柱に自分がかけられる事になってしまったのです。モルデカイはさらに王からの好意を得ましたが、ハマンがいなくなってもユダヤ人虐殺の法令はまだ生きていたのです。王の尊厳を損なわずこの事態を回避するためには王の名前で新しい法令を出すしかありませんでした。そこで、出された法令はユダヤ人に正当防衛の権利を与える事でした。あらかじめ敵が攻めて来る事に備えていたユダヤ人達はハマンの息子たち10人と500人の敵をことごとく倒し勝利を収めました。ハマンが企てた陰謀がくじで決められた事と、本来災いの日になる日が勝利の日に変えられた事に記念して、12月14日と15日はプリム(くじ)の祭りとして盛大に祝われる事になりました。今日も祝われているそうです。この後もペルシャの王アハシュエロス王の統治とそれを支えたモルデカイの栄誉と功績は長く続き、後世に語り継がれる事になりました。自らの悪しき陰謀で身を滅ぼしたハマンの姿、絶対絶命の危機を救ったエステルの勇気ある行動や道を切り開いていくモルデカイの優れた知恵、そして全体のテーマでもある神にある大逆転の勝利など、エステル記は短いながらも躍動感に満ちた物語が展開しています。あえて「神」の名が記されていないこの物語から皆さんは何を学び、感じ取られるでしょうか?