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仮面の裏に

徒然なるままに書き殴った文章群

自棄になった勢いのまま、

ここまで辿り着いてしまったのかもしれない。
わたしは、本当にマゾヒストなのだろうか。
或いは孤独を持て余しているだけの偽物なのだろうか。
そんな疑念を終ぞ拭い去ることが出来ぬままに足を踏み入れた密室は、
既に呼吸一つまで支配されていて。
溢れてくる唾液を飲み下すことすら躊躇われた。



「挨拶はどうした、奴隷」

そう、わたしは奴隷。
三つ指をつき頭を深々と垂れ、
そうして主に己の存在を委ねては赦しを乞う存在。
そう理解はしているつもりであっても、
未だ知り得ぬ緊迫感と、じっとりと冷や汗をかいてしまう程に冷ややかな視線に晒されては指一本すら動かせずにいる。
蛇に睨まれた蛙…という表現が近しいかもしれない。
辛うじて体勢を整えたとて、干上がった喉は上手く言葉を紡いでくれない。
否、それ以前に、御挨拶として申し上げるべき言葉が全く見つからない。
あれ程までに待ち望んできた瞬間であるというのに、
混線して火花を散らす回路は、最早その機能を果たしてくれずにいる。


その視線は揺らぐことなくわたしを捕らえている。
頭を挙げずとも主の瞳の色を、肌で感じる。
虫ピンで固定された哀れな羽虫の死骸。
身動きをする度にかさり、と水気を喪った音がしそうな程の喉の渇き。
鼓動だけはいやに生々しく響くのが実に厭わしい。



「おまえ、足置きになれ」

ご挨拶の言葉をどのように申し上げたのか、
そもそもこの喉から言葉を発することが出来たのかわからぬまま、
主の声には従うという最後の習性を発揮する奴隷。
七節のそれのように乾いて折れそうになった手足をやっとのことで動かして、
辛うじて足を置いて頂けるだけの姿勢をとる。


背には、主のお御足。
その瞬間からの、戦慄。
これは電流なのだろうか、それとも沸騰した体液なのだろうか?
凡そ馬鹿げた疑問が、真に迫ってくる。
主の踵が、なだらかなアーチが、逞しい五の指が触れた箇所から、
子宮から、臓腑の底から、嗚咽となって漏れてしまう程に。
奴隷の身体は波立っては騒めいてゆく。
未だ嘗て知らぬ圧迫感、モノとして在るという屈辱。
平生の自尊心の鎧をかなぐり捨てた、「奴隷」としての姿。
足裏から直に伝わる、主の体温。
未分化な感覚が融けて綯交ぜとなり、
切れ切れに痙攣を繰り返す身体は火照りきって完全に制御を失っている。
秘所は既に熱く濡れそぼっていることは確かで、
その浅ましさにすら身を打ち震わせる哀しい生物であることを改めて思い知らされる。

私を刺しては抉り、愛撫してゆく主の瞳。
絡みつく髪を弄ばれるお御足。
背を転がし、圧をかけ、最後に僅かに残った自尊心を踏み躙ってくださる。
抱き続けていた疑念、
自分自身が本当に被虐の性であるか否か、
そんな疑念があまりに馬鹿げたものであったことを認めざるを得ない。

「楽しいな、なあ、奴隷?」

恐らく口角を釣り上げた主が発したのであろう言葉に、
嗚呼、ご主人様、
そんな切れ切れの掠れ声でしか応答出来ない奴隷。
頽れてゆく奴隷を更に煮溶かす主の声に、
骨の髄まで毒々しく甘い蜜に浸されるような、
濃密な被虐と服従の薫りに噎ぶような、
膣のうねりまで生々しく記憶される快楽に唯々溺れてゆくことは到底止められそうになかった。



暫く足置きとしてお使い頂いたのち、
お御足へのご奉仕をお許し頂いた。
大層ぎこちなく靴下を脱がせてゆく奴隷の手つきを射る瞳。
自己欺瞞に過ぎないのではないか、

と一種醒めた視線を崩さずにいたとて、
やはり奴隷としての夢であった、奉仕の瞬間。
霞がかかった脳裏を掠めるのは、

未だこびりついた理性の欠片だった。

 

ご奉仕の仕方はこれで正しいのだろうか。

あまりに要領を得なくて、退屈されてはいないだろうか。

ご挨拶も、ご奉仕も、

何一つ出来やしない…そう呆れられてはいないだろか。

 

そんな雑念に絡めとられそうな奴隷を、

主は見透かされていたのだろう。



「どうだ、奴隷?」

畏れ多くも限りなく愛しいそのお声が舞い降りたとき、

どうにかお伝えしたいことは言い尽くせない程に在ったのに。
未分化な興奮と愉悦と、そして何より奴隷としての幸福感と。
目の前の主に飛びつきたいほどの「好き」の感情と。
けれども奴隷は思いを言葉にする術があまりに拙く、

お伝えしたいことのほんの一握りも言葉に乗せることが出来ず。
そしてそんな一言すらも、混線した頭では絞り出すのにとても時間がかかってしまって、もどかしくて堪らないのに何も言葉を紡ぐことは出来なくて。


「何とか言え、奴隷!」
主に頭を踏みしめて頂いて、切れ切れに謝罪させて頂き、
漸く「しあわせです」

こんなちっぽけな一言を、

消え入りそうな声でお伝えすることしか出来なくて。


「おまえ、本心からそう言っているのか?」
「形だけなのではないのか?」
その御問いかけが、

只管に恐ろしくて、口下手がもどかしくて。
奴隷は本当に、本当に幸福であるのに、

己の心を掬って言葉に乗せる術に欠けているが故に、

何もお伝え出来なくて。

こんな様では主は直ぐに退屈されてしまう、

こんな奴隷などお側に置いては頂けなくなる、

今迄拭い去ることの出来なかった不安は暫く喉元に絡みついていた。

 

 


非常に拙いお御足の御指への奉仕の後、

再び足置きになるよう命じてくださった。
奴隷は、直ぐにその姿勢をとらせて頂く。


こうすることが、奴隷の定めであったのだ。
この日、この瞬間のことは、

間違いなく奴隷の因果律の中に組み込まれていたのだ。
白濁した頭の中で、けれども奴隷は確信を抱いた。
足置きにして頂いている間の奴隷は、

唯々被虐の悦びに酔い始め、

その密室の空気全てに煮溶かされるようで。

 


ふと、お御足を退けられて。
主の大きな掌で奴隷の髪を鷲掴みになさった瞬間、

狂おしいほどに恋しくてならなかった瞳が脳を灼いた瞬間、

奴隷の世界は暗転した。


「良いマゾ奴隷の顔になったな」

 

 

嗚呼。

貴方の御言葉は、何時も奴隷を壊してくださる。

心地よく瓦解してゆく鎧。

硬く鎖された奴隷の核に皹が入り、

永い冬を越えて凍てつく初春に萌芽した心地であった。

 

私は、奴隷。

紛うことなき被虐の性を負い、

貴方に惹かれてすべてを委ねた奴隷。

肉の芽が未だ知らぬ外気に触れて微かに滲みるように、
私は漸く血塗れの己が性を肯定した。

 

 

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お久しぶりです。

皆様如何お過ごしでしょうか。

私はとても元気にしておりましたが、

健やかであるが故に文章が書けなくなっておりました。

リハビリを兼ねて、嘗ての備忘録を。