三ヶ日が明け、体を少しずつ仕事モードに慣らしてからの三連休初日。


以前から計画していた、奈良県東部の寺院を巡るプランを実行してきました。


近鉄大阪線で榛原駅へ。そこから奈良交通に乗り換えて宇田野駅へ、さらにコミュニティバスに乗り継いひよしのさとマルシェ駅へ。そこから歩いてやってきたのは龍泉寺、曹洞宗のお寺です。

参拝される方は事前に電話で問い合わせたほうが無難です。特に公共交通で行かれる場合はコミュニティバスとの兼ね合いもありますので、効率的な回り方を練っておいたほうが良いでしょう。

奥に見えるのが観音堂です。こちらには野見観音という通称名を持つ観音様が安置されています。


こちらの観音様は戦国武将の蒲生氏郷(がもううじさと)が松坂城に安置していたと伝わります。


氏郷自身は戦勝を祈願し、妻の冬姫(織田信長の次女)も武運長久を祈願していたため、蒲生家と守り観音としてお祀りされていました。


その後、氏郷は会津若松藩の城主となったことから、出世観音との別名も持っています。


江戸時代、ここは紀州徳川藩が参勤交代をする際の宿泊地になっていたので、参勤交代の安全祈願のため松坂城から観音様を移したと伝わるそうです。

慈光殿という名前の建物の中には、如来坐像(不空成就如来 : ふくうじょうじゅにょらい)と阿弥陀如来像が安置されています。


不空成就如来という名前はあまり聞かないですが、密教で用いられる曼荼羅のうち、金剛界曼荼羅の北側に描かれる仏様の名前です。


向かって右手の印相が珍しいそうです。実際に見てみると与願印でも説法印でもなく、独特な結び方をされています。


どんな形かは東吉野村観光協会のHPに写真がありますが、説明では拳印とあります。



一方、向かって左側にある阿弥陀様は定印を結ばれています。


この印相は平安時代以降に造られるようになったそうで、後の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来にも採用されています。


定印を結ぶ日本最古の像は仁和寺にあるそうですが、本像も黎明期の造像として貴重です。



さて、一通りお参りが済むと、温かいお茶を用意してくださいました。


ただでさえ冷え込みが厳しい吉野地方でこの一杯はとてもありがたかったです。


他の寺院でもお茶を出していただいたところはあるのですが、龍泉寺さんはそれだけではありません。


次のコミュニティバスまで1時間以上あると分かるや、なんとお昼ごはんまで用意してくださいました。


しかも一品ではなく、食堂でいうと立派な定食と呼べる振る舞い。


「この辺は食べるとこ無いから、腹ごしらえしていき」というお言葉。


ありがたさはもちろんのこと、今ではあまり見なくなってしまった“人を思う日本人のおもてなし”を体験した感がありました。


かつてお伊勢参りに来た参拝者に、無料で食事や寝床を提供していた宿場町とでも言うのでしょうか。


久しく現代の感覚に慣れてしまっていた私には、お腹と心の両方が満たされた感じがしました。


あくまで推測ですが、ご住職に参拝料をお渡ししても「要らない」と断られる可能性があるなと考え、感謝の気持を加えた御礼を堂守さんにこっそりお渡ししておきました。


本当なら浄財箱にこっそり入れて帰るのが粋なのかもしれませんが、どうしてもありがとうという言葉以外に、直接お礼の気持ちを伝えたかったのです。


確かにアクセスの良くない場所にありますが、それを忘れさせてくれるに余りあるひとときを過ごさせていただきました。

さて、再びコミュニティバスに乗って15分ほどで小村大橋という停留所に着きました。そこからすぐのところに天照寺があります。


1278(弘安年間)年、この地方を治めていた小川氏の菩提寺として建立されました。境内には小川城主の墓地があります。


1458(長禄2)年、小川弘光は後南朝が保持していた神璽を北朝に奉還しました。小川氏が最盛期の出来事です。


天正年間、火災により消失しますが、1644(正保元)年に宇治・興聖寺の万安英樹(ばんなんえいじゅ)和尚により再興され、真言宗から禅宗に改宗されました。


ご本尊は阿弥陀如来です。本来禅宗の本尊は釈迦牟尼仏ですが、天照寺では曹洞宗に改宗されたとき、すでに阿弥陀様を本尊としてお祀りしていたためです。

薬師堂は茅葺きの屋根が印象的な建物です。


ご本尊の薬師如来の台座には、1457(文明7)年に小川弘光が再興したという墨書書きがあります。



薬師堂に付くと、ちょうど法要が始まる直前でした。


いそいそと堂内に上げていただき、お薬師様をちらっと見せてもらいました。


十二神将もあるようですが、短時間だったためゆっくり見る余裕はありませんでした。


一旦お堂の外に出て法要を見守ります。前半はひたすら般若心経の読経が続きます。


後半になると、春日明神など神名が次々に読み上げられました。2ヶ月早くお水取りの神名帳を間近で聞いているようでした。


あとは参列者の芳名などが読み上げられて法要は終了しました。


この時点で予約したいたコミュニティバスの出発10分前。再び堂内を見る時間はないと諦めましたが、どうしても確認しておきたいことがあり、お寺の方に一言。「すみません、由緒書きはありますか?」


ありました!正直無いかなと思っていたのでこれは嬉しかったですね。仏様の写真はないものの薬師堂の説明もしっかり綴られており、個人的に満足なお参りになりました。



その後はコミュニティバスで宇田野駅まで戻り、奈良交通で榛原まで乗り継いで帰宅しました。


東吉野村は丹生川上神社をお参りして以来でしたが、やはりまだまだ知らないところがありますね。