萩市笠山の昭和天皇御製3首 | 周南市 東郭の世界

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萩市の笠山の展望台に上ると萩の城下町から萩六島と呼ばれる島々が一望出来て、誠に美しい

風景を堪能できます。昭和天皇は、此処笠山に昭和38年10月28日行幸され3首の御製を詠まれ

ました。第18回国民体育大会が山口県で開催されるあたり、天皇皇后両陛下のご臨席を賜った

時でありましたから、いまから55年前になります。その時は私も高校生であり夢と希望に燃え

ていたわけですが、日本も山口県も経済的に成長期に入る時です。流行歌は、舟木一夫の

”高校三年生” や坂本九の "見上げてごらん夜の星を"、梓みちよの ”こんにちわ赤ちゃん” が

ヒットしました。東京オリンピック開催が昭和39年でありましたので、日本国中その準備

に向かって新幹線を開通させようとしたり大変な熱気でした。考えてみれば、今度の東京オリ

ンピックが2020年なので、今年や来年あたりの建設ラッシュや交通網整備などの熱気と

似ているなとも感じます。

                           《2018.7.7 周南市 東郭》


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左から相島・羽島・尾島・肥島

萩6島は、このほか櫃島・大島を加えます。昭和天皇御製の見島は此処から40km離れた

尾島の向こうに見えます。

昭和天皇の戦後巡幸は、昭和54年で一応終えましたが、その後も各都道府県で行われる

行事には、必ずご臨席されました。そこには、各地の美しい自然や山河があります。

わたしは、昭和天皇の巡幸は、杜甫の春望の気持ちであったであろうと、思います。

初句の ”国破れて山が在り” は、戦争に敗れて何もかも無くなってしまったが、自然の

山河は、変わらず残っているという意です。日本各地は焦土となりましたが、この萩市の

ような美しい自然の景色は変わることなく残っている、悔やんでも仕方ない、さあ、春を

目指して頑張ろうという気持ちです。杜甫は、変わらぬ自然と自己の逆境を対比させて

いるだけで、そんなことは言っていませんが、平和を望み安穏な生活を欲していることは

伝わってきます。



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春 望    杜甫           

国破山河在     国破れて山河在り
城春草木深     城春にして草木深し
感時花濺涙     時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心     別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月     烽火三月に連なり
家書抵萬金     家書萬金に抵る
白頭掻更短     白頭掻かけば更に短く
渾欲不勝簪     渾べて簪に勝えざらんと欲す




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昭和天皇御製 笠山三首


  ”秋ふかき海をへだててゆりあかひのすめる見島をはるか見さくる”
 







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   “そのむかしアダムスの来て貝とりし見島をのぞむ沖べはるかに”
 

   “波たたぬ日本海にうかびたる数の島影は見れどあかぬかも”







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