【世界遺産】 萩の大板山たたら製鉄遺跡訪問-2 | 周南市 東郭の世界

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世界遺産に登録された「大板山たたら製鉄遺跡」へ見学に行った時の写真です。
 
山口県にも「たたら製鉄」の遺跡が残っていることに興味が湧きます。
 
大板山で「たたら製鉄」が行われていたのを知ったのは、雲南市菅谷山内を訪ねた時です。
 
当ブログの出雲松江旅行記<2015.1.21投稿>の「たたら製鉄の火床」で館長の朝日さん
 
から、”山口県にも大板山のたたらがあるでしょう” と云われた時、ドキッとして聞いたこと
 
がないのを恥ずかしく思ったものです。世界遺産登録までは、恐らく山口県人も教育員会や
 
学芸員など一部の人しか知らなかったのではないでしょうか。
 
折角ですから、その時の菅谷たたらの写真を転載します。
 
 
                          《2016.9.29 周南市 東郭》
 
 
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           菅谷の和鋼生産研究施設での火打ち式
 
 
 
 
 
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             菅谷たたらの高殿(杮葺き)
 
 
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大板山たたら製鉄遺跡住所:山口県萩市 紫福大板257-1です。アクセスは、国道315号
 
 
線から阿武町の県道10号線に入る道で行きました。これより他にも萩からですと東光寺
 
 
の処の県道11号線から登れます。今回10号線からの入口に世界遺産大板山たたら製鉄遺跡
 
 
への看板が大きくありましたので、容易に訪問することが出来ました。
 
 
 
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             国指定 大板山たたら製鉄遺跡
 
 
 
 
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山内に入る前に、案内所の資料により大板山たたら製鉄や丙辰丸建造の説明を受ける。
 
 
 
 
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砂鉄採取は、土や小石などが混ざっているので、水洗いして砂鉄だけを取り出す工程が
 
必要です。製鉄の作業の中でも、大変な労働です。洗浄する水も多量必要です。
 
一般的なマテバラは、玉鋼1㌧造るのに、砂鉄13㌧・木炭13㌧と云われています。
 
箱型炉で3日3晩休まずつくられた鉄は”ケラ” と呼ばれますが、炉を自然冷却して炉を
 
壊した後にケラが約2.8㌧得られます。この中に純度の高い玉鋼が約1.0㌧採れます。
 
原材料の砂鉄にしろ、木炭にしろ、元の樹木や砂鉄を含んだ山泥はその10倍以上の
 
量になります。江戸時代なので主に人力ですので、その労力は大変でした。
 
 
 
 
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この一帯には、製鉄の際生まれる鉱滓が多く出土します。スラグと呼ばれますが、一般的に
 
”のろ” と云います。
 
この遺跡は発掘調査した後、保存の為埋め戻されているので、地表面の石積みなど以外は
 
見ることが出来ません。 
 
 
 
 
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       案内して戴いた方が拾って示してくれた”のろ” です。
 
 
 
 
 
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砂鉄洗い場
 
 
 
 
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            大板山たたらの高殿があった処全容
 
 
 
 
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   村下座(技師長)の座る処など役割と座敷は場所も決まっていました。
 
 
 
 
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                炭町(木炭の置き場)
 
 
 
 
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たたら製鉄の箱型溶鉱炉です。大きさは、長さ3m、幅1m、高さ1.5mくらいが標準的な
 
大きさです。この写真は、高さがすくないようですが、地下の部分もあるのかも知れませ
 
ん。村下さんたちは、まず、この炉を粘土で造ることから始めます。一回の製鉄ごとの
 
これを壊してケラを取り出します。この粘土製の炉を作る技術もかなり繊細です。
 
高温で砂鉄と炭を焼くので、この炉も次第に痩せて来るそうです。3日3晩真っ赤な炭に
 
少量ずる砂鉄を撒きます。その全てに鞴を踏んで風を送ります。
 
 
 
 
 
 
 
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    真ん中のたたら箱型炉の両側にたたら鞴(ふいご)が配されていました。
 
 
 
 
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北側の山の方向の道の整備が進んでいます。奈古の港から、この山道を馬で砂鉄を運んで
 
来ました。
 
 
 
 
 
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                 横を流れる小川
 
 
 
 
 
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山内奥から入口方向を眺めました。
 
 
 
 
 
 
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小鉄町(分別された砂鉄を置く場所)・砂鉄焙焼炉(砂鉄を焼いて乾燥させる)エリア。
 
 
 
 
 
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枠に書かれた高殿を遺跡に当てはめて写真を撮りました。ちょっと多かったので、
 
高殿が小さく見えますが、箱型炉を中心として敷地全体に建てられている工場です。
 
屋根は、桧皮葺と案内されていましたが、菅谷山内の高殿はコケラ葺きです。
 
これには、いろいろな理由があります。湿気や換気・耐久性などがおもな理由ですが、
 
コケラ葺きの材料の栗の木などの選定も拘りがあるようです。
 
一昨年、菅谷たたらの高殿屋根を見たのですが、柿(こけら)葺きが素晴らしかったのを
 
覚えています。
 
 
 
 
 
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金屋子神祠
 
 
金屋子さまは、製鉄の神様です。たたら製鉄の最高責任者である村下は、鉄づくりの最初
 
ここの川で身を清め、金屋子様に製鉄作業の成就と安全を祈りました。一家相伝の技術で
 
す。この為、誰よりも責任感も感じ一連の工程は神事でした。過酷な作業で全ての作業する
 
人の協力がなければ、いい品質の玉鋼は出来ません。金屋子神は、そんな村人の精神的支柱
 
をなっていたのです。
 
 
 
 
 
 
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ヤマジノホトトギスを家人が見つけました。
 
 
 
 
 
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透明なガラスかアクリル板の枠に元小屋の線画が書いてあります。
 
視線をそのエリアに合わせると、実物を復元したように見えます。
 
 
 
 
 
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ヤマジノホトトギスが咲いていました。
 
 
 
 
 
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              山内を出口付近から撮りました。
 
 
 
 
 
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    案内所を右に少し行くと、たたら墓地と書いた小高い墓地がありました。
 
 
    たたら製鉄は、どの工程も重労働で危険度も高かったので、事故なども
 
    多かったのではと推測されます。
 
 
    
 
 
 
 
 
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山の口ダムの最上部でたたら遺跡入口から撮りました。たたら製鉄で選鉱などで使用され
 
た水は、此処へ流れていたのでしょう。勿論、当時はダムもありませんでした。
 
奥出雲のたたら製鉄では、山や川の砂鉄を採取して比重選鉱しましたから、川に赤い残土
 
が流れ川も浅くなり、それらは宍道湖まで流れて行きました。
 
 
☆今回、お案内戴いたボランティアの女性の方に厚くお礼を申し上げます。