月輪寺薬師堂(山口市徳地)と石風呂 | 周南市 東郭の世界

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月輪寺の薬師堂があることを聞いたのは、重源の郷の歴史博物館の館長さんからであった。
 
周南市から山口市へ行くとき徳地に重源の郷があるが、それよりも近い島地地区で道路に
 
月輪寺の看板がある。奈良東大寺の再建の為、重源上人は徳地の杣から巨大な檜を数百本
 
伐り出した。国家プロジェクトで、重源上人は東大寺造営料国として周防の国を預かった。
 
時に文治2年(1186年)で、前年には焼失した東大寺の大仏は完成していた。
 
世界最大の大仏には世界最大の堂宇が要る。けれども、近畿内にはすでに自然の大木はな
 
く、九州宮崎や四国周辺の大木を物色したが、造営に足る木材はなかった。最後に周防の
 
國に下り徳地の杣に目的に足る檜の大木を見つけた。桧は高さ36m、直径1.6mの物が
 
基準として求められたが、自然林であり急峻な谷あいである。どうして伐り出したのだろう
 
と誰でも疑問を持つ。館長に質問した。”鋸はあったの?” と聞くと”鋸はあったが全部斧で
 
伐り出した” そうだ。当時鋸はあっても小さいもので、直径1.6mの大木を伐り出すには斧が
 
適切なようである。ちょうど鉛筆を削る形のように円錐形に斧を叩き込む。杣人は謂わば
 
山の民である。伐採作業は生来の習いで得意ではあるが、こんな大木を扱うのは初めての
 
ことである。記録によると落慶法要まで僅か4年という。一本伐り倒すには10人程度で
 
斧を振るい1日は掛る。それも割れたり、曲っていたりして歩留まりは1/10に過ぎない。
 
重さ40~50㌧はある。重源上人は佐波川に堰を118ヶ所造り筏にして周防灘まで運んだ。
 
でも、川まで牛に牽かせたのか?と又館長に聞くと人力でやったそうだ。牛も役に立つ状況
 
ではなかったのでしょう。そこで、使われたのが修羅でそりの一種で運ぶことや、谷底まで
 
急傾斜を利用して滑り落とすことにした。実際に重源の郷の博物館にはこの図がある。
 
この作業に携わった人々は、何千人であったか試算した人もいるだろうが、兎に角、村人
 
総出の老若男女を問わず駆り出されたに違いない。この重労働の怪我や疲労回復に役立つ
 
石風呂をこしらえたのも重源でした。石風呂は蒸風呂のことでサウナである。薬草も入れて
 
熱い蒸気に身を晒すと疲れがとれる。
 
薬師堂の裏手に回ってふと見ると石風呂と書いてあるので覗いてみた。
 
構造は実に簡単で、赤土で茶碗を臥せたような格好をしている。
 
ちょうど炭焼き窯のようだ。石で造った四角い穴があって、そこから出入りしたらしい。
 
中は真っ暗であったがどうやら床も大きななめらかな石を敷き詰めてある。
 
この中?で蒸気を発生させ、薬草を入れる治療効果は絶大であった。その数、実に33ヶ所で
 
ある。月輪寺薬師堂裏にある石風呂は一度に10人以上入れる。如何に伐採事業に携わる人が
 
多かったか推察出来る。
 
重源上人は、徳地の人々の生活水準も引き上げた。精神的支柱となる薬師如来や阿弥陀仏を
 
を崇拝し、その御利益のもとで健康も手に入れ、仕事もあるということは、色々な学問や
 
文化的行事も盛んになった筈である。800年経った今でも、この地の人々は重源上人に
 
感謝しているという。
 
                          《2016.7.19 周南市 東郭》
 
 
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                  楼門
 
 
 
 
 
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                 楼門二階の鐘
 
 
 
 
 
 
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                 薬師堂 正面
 
 
 
 
 
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               薬師堂から楼門方面を眺める
 
 
 
 
 
 
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薬師堂を横から見る。平安末期から鎌倉時代の堂宇建築であり簡素で質実剛健のイメージが
 
強い。屋根は茅葺であるが、両端を僅かに反らしてある。木組みの様子からクギは全く
 
使っていない。壁は、みんな板壁である。けれども開き戸や明かりとりの格子など色々
 
手の込んだ工夫がしてあります。
 
高野山の旧根本大塔を思いだします。
 
 
 
 
 
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                 薬師堂の裏側
 
 
 
 
 
 
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            石風呂が薬師堂裏側にありました。
 
 
 
 
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今は全く使っていません。また、何時の時代まで使われていたかも不明です。
 
 
 
 
 
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”かまど” もあり、湯茶の用意も出来た、休憩室のようなものがあったのでしょう。
 
 
 
 
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          入口は、ベニヤ板で塞いでありました。
 
 
 
 
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               石組の出入り口でした。
 
 
 
 
 
 
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    中は、大きななめらかな石が敷いてありました。広さは6畳くらいです。
 
 
 
 
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      前後しましたが、石風呂の横に石仏の小堂があります。
 
 
 
      石風呂大師堂と書いてあるのが読めます。
 
 
 
 
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       もうひとつの小堂にもお大師様?が鎮座されています。
 
 
 
 
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右手に独鈷杵、左手に数珠をお持ちになられているので、弘法大師像でしょう。
 
それにしても、柔和なお顔で安らぎと親しみを覚えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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この山には、33観音が配置されています。明治時代に地元有志に依って造られたとか。
 
 
 
 
 
 
 
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このお顔も非常に優しいので気に入りました。
 
 
 
 
 
 
 
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曹洞宗月輪寺
 
 
 
 
 
 
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曹洞宗月輪寺
 
 
 
 
 
 
 
 
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願成山は、月輪寺の山号です。
 
当日は、堂内で法要がありましたので、参観は此処までです。
 
 
 
 
 
 
 
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ロハス島地温泉・交流センター
 
山口市徳地島地地区の交流拠点施設として完成した島地温泉ふれあいセンター「ロハス島地
 
温泉」。国道376号沿いの旧島地温泉跡地にあります。源泉掛け流しの温泉を復活したほ
 
か、地域から姿を消した食堂と物販(ミニスーパー)を備えています。地元農家などが朝市
 
もあります。黙雷亭(食堂)のおうどんは安くて美味しいです。おそばもお勧めです。