花岡八幡宮所在地:山口県下松市末武上400
花岡八幡宮の参道と酒造メーカー”金分銅本舗”
花岡八幡宮は、花岡山にあり、和銅二年(709)豊後国(今の大分県)宇佐八幡宮より御神
体を勧請して創建した、古いお宮である。祭神は誉田別尊他四姫命、神功皇后である。その
他に、揚林坊、常福坊、千手院、閼伽井坊、香禅坊、惣持寺、長福寺、関善坊等の八社坊を
建立したとあるが、現存のものは閼伽井坊のみである。年代は不明であるが、社領八箇国分
限帳に「百三十六石、花岡八幡坊領共」と記されており、内容も充実し、隆盛を極めた。
境内に国の重要文化財に指定された閼伽井坊多宝塔がある。
この多宝塔の建造年代については、藤原鎌足の建立と伝えられ、日本十六塔の一つであると
もいわれているが、その建築様式から室町時代中期から後期にかけての建造ではないかと推
定される。
また昭和三年解体修理の際「永禄三年庚申年(1560)」の墨書ある木片が発見され、あるい
はこの字が建立年代を示す資料とも考えられる。
方三間二重塔婆、屋根はこけら葺きで、総高13.5m、内部須弥壇には金剛界大日如来が安置
されている。
建物の外部も形がよく整っており、当代の多宝塔として他に遜色のないものである。
その外、八幡宮には市の指定の有形文化財として、破邪の御太刀一口がある。長さ3.6mで、
安政六年(1859)藤原国綱の作、この年はちょうどこのお宮の式年大祭に当り、氏子が、刀
匠国綱に製作を依頼したもので、弟子五人、手伝二人を従え、砂鉄三百貫を鍛えあげ、川を
せきとめ、焼きを入れて作りあげたという。
また、寛永元年(1624)に花岡八幡宮に寄進された鉄造鰐口があり、市指定文化財となって
いる。面径(直径)36.3cm、面厚17.8cmである。
参道前の道路を通っていると、桜の花が一際鮮やかに咲いていたので、引き返して撮って
みました。花岡といえば、昔は長州本藩の勘場(かんば)と呼ばれる代官所が置かれて
いました。この地方の政治経済の中心地として栄えたといゝます。
宿場もあったようで、昔の山陽道は、花岡八幡宮の前の通りです。
JR岩徳線の周防花岡駅も、この西側にありますが、岩徳線もほぼ、参勤交代の山陽道と
同じと思っていいと思います。徳山→花岡→高森→玖珂→岩国と続く道です。
萩の吉田松陰も江戸送りの時には、この道を通ったことに違いありません。
花岡で有名な事と云えば、毎年の花岡稲荷の「きつねの嫁入り」行列ですね。
閼伽井坊の看板が見えますが、左がその閼伽井坊です。
閼伽井坊は、和銅2年に宇佐八幡の分霊を祀った花岡八幡宮の社坊九ヶ寺の内、現存する
唯一の寺で、良長法印を中興として、 現住が第16代に当り、山号を華岳山、寺名を閼伽井
坊といい、 真言宗御室派に属している。とのことですが、我が家の近くのお大師様も
周南八十八ヶ所のひとつで、閼伽井坊様が主宰しておられます。
それにしても、この写真の桜は見事ですね。
第二の鳥居からは、急な石段が百段?近くあります。
見ると、学生たちがトレーニングをしています。
確か50年まえも、誰かがトレーニングしていました。
あの、”うさぎ飛び” です。でも、あんなきついことは、膝を痛めるので止めたほうが
いいですよ!