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トーヘンノツキ

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船 とはノアを家長とする家族八人(八口)が乗ったもので、それまでの 舟 とは違い桁外れに大きかった、、とか


漢字の成り立ちは不思議なもの、、


犠牲 はなぜ 牛へん なのか?


旧約聖書の中のレビ記にありモーセが定めたとされる燔祭で、生贄を祭壇で炙り焼き神に捧げる神聖な儀式だが、そこで生贄となる動物は雄の牛、羊、山羊、あるいは鳩に限られるという


この内の代表格として 牛 が生贄として 犠牲 になる様を表しているというから、これもまた聖書の内容を知る人が考案した漢字だろうと考えられる


さらに、、犠牲の 犠 から牛へんを取り除いた 義理 の 義


この字は 羊 と 我 が一体化して 義 となったが、羊と聞けば、神が遂にはアブラハム最愛の息子イサクを生贄に捧げよという申し付けにアブラハムはイサクを生贄として捧げることもまでも受け入れ、アブラハムはイサクを祭壇に寝かせ縛り付けた


しかしこれは神がアブラハムの神への忠誠心を試そうとしたまでであり、、


結局アブラハム祭壇からイサクを下ろして、その代わりにアブラハムが大切に飼っている 羊 を生贄として事なきを得た


羊 が愛する息子イサクの身代わりとして生贄になったことでアブラハムもまた救われた


羊と我 の関係が 義 


義理 は 義を理(ことわ)る


旧約聖書、創世記22章に書かれたアブラハムの逸話 イサクの犠牲(燔祭) から 義 は生まれたと考えられる



それまで皆さまよいお年を

Mutlu Yıllar 




その研究者の推論のように 船 に込められた本来の意味が巨大なノアの方舟に由来するとすると、、


船 という文字がいつ頃出来たかは知らないが、かなり古くから西方の方舟伝説は中国まで伝わっていたようで、それはユダヤ人たちがシルクロードを東進することによって直接伝えられたとも想像できる


西の端が大秦と書いてローマであり、東の端が海を渡った先の倭国、日本


紀元前722年にアッシリアにより滅亡した北イスラエル王国の十支族はアッシリア軍により連行された後に足取りがつかめなくなった


この失われた十支族の多くが西へ戻らずに東へと進み、各地に痕跡を残していったという


ちなみにその時代のユダヤ人の信仰はユダヤ教ではなく多神教だったとされ、また祖国も失なったためにおそらくペルシャ人、あるいはローマ人などと名乗ったと推測できる






舟 と 船 、、共に フネ と呼ぶのにその違いは?と問われれば、きっと 舟 とはごく小さなものであって、、かたや 船 になると積荷を載せた大型のものを想像したりするだろうか、、



ある研究者によれば、舟 自体は象形文字から 舟 となしているが、隣に 八 と 口 が並び 船 となれば、それは旧約聖書第6章に始まる ノアの洪水 に登場する方舟に乗った8人の姿を現しているのだろうという



八 は 数字の 8 を指し、口 は 人口 を例に、、人の数を指し、、つまり 舟 に8人の人が乗った状態を表した形が 船 で、、



ノアとノアの妻、そして三人の息子たちとその三人の息子の妻たちの計八人が乗ったものを、それまでの 舟 ではなく 船 としたようで、、


きっと 船 という漢字を創った人は、ノアの洪水の話をよく知っていたのだろうという