(三)

 やがて空中勤務者全員集合。機上の人となり、山口戦隊統合の爆撃行が開始され、九十戦隊の全機威風堂々と銀翼を連ねて爆撃目標に前進するわけでありますが、ここに運命の時刻がやってくるので有ります。

 和佐野曹長、田子軍曹の爆砕。この悲しい現実に直面して、私は考え、又悩みました。それは、あれ程搭乗することを嫌がっていた和佐野曹長のことを、出発前に直接私が意見具申として中隊長に申し上げるべきであったかどうかということであります。自問自答の末、私は結論として次の様に考えました。

 戦場のことです。安易な妥協は許される筈もありません。仮に意見具申として申し上げたとしても、中隊長のお答えは、和佐野曹長に与えた答えと全く同一であった筈だと考えました。また、この様に確信もしました。

 

(四)

 人間の運命は紙一重とよく言われますが、あの時天候に恵まれて予定通りの爆撃目標であったならば…。或いは、第二編隊溝口機が突入時機を失せずにそのまま突入しておれば、僅少の時間差でこの遭難は防げたのではあるまいか…。或いは、そのまま突入していたならば、溝口編隊に爆弾が落下したのではなかろうか…。あれこれ考えたものです。勿論、第二中隊の某編隊長機が建制順序を守り、状況を確認の上爆撃に移行しておれば、当然、この悲惨な事故も起きていなかった筈です。

 ともあれ、田子軍曹の前日における動作、動向。当日の和佐野曹長の仕草といい、これがやはり虫の知らせであったのかと、つくづくと思った次第であります。      

 

 和佐野曹長、田子軍曹両名の写真を見つめてみる。どこか幼さとあどけなさが残っている。それはそうだとも思う。この誤爆事故が起きた時の父の年齢が二十三歳だから、和佐野曹長はやや下であり、田子軍曹にいたっても二十歳そこそこのはずだ。

 戦史などを読むと、よく「散華(さんげ)」という語句を眼にするが、安易には使って欲しくない言葉と私は思っている。たとえ戦地であっても、人それぞれの死が、人それぞれの生の延長にある死が、その二文字で共通して括れるわけがない。死者は言葉を発することはない。だからこそ、生者は声とならない死者の言葉に、謙虚に耳を傾け続けなければならないのではないだろうか。