さて、包頭飛行場ですが、極寒時には零下二十度位に気温は低下します。或る作戦に、九七軽及び九八軽が参加致しました。この作戦期間中に、九八軽は一度も飛行せずに終わりました。エンジンの始動不能のためで、全く面目なしの状態です。九七軽の方は、エンジンに厚い布製のカバーを長く掛けて、その中に炭火を入れエンジンを温めたものです。こうすることにより相当の寒冷地でも、容易に始動することができました。従って、出動に支障をきたすことは絶対にありませんでした。この作戦協力は、主として第一中隊の九七軽だけで終了したわけであります。

 或る日の包頭飛行場戦闘指揮所に於いてですが、どう見ても蒙古人としか思えない人物が中隊長と話されているではありませんか。その人物たるや、顔は日焼けしてうす黒く、服装は蒙古人そっくりで、おまけに頭髪も長く後方に伸ばしております。煙草も長いキセルで吸っております。ただ、流暢な日本語を話すので、この方はきっと日本に留学されたことがあり、現在は特務機関に雇われて宣撫工作を実施されているのであろうと思ったものです。後で判ったことですが、五・一五事件に関係された方だと聞きました。自己を犠牲にして身を蒙古人にやつし、奥地に潜入してひたすら宣撫工作を続けておられることを知り、その崇高なる精神に我が身を糺す思いを抱いたものであります。

 五原に駐留していた特務機関は、敵の包囲攻撃を受け苦戦の模様であります。飛行隊は毎回小編隊を以て出動し、敵陣地及び要所の爆撃を行いました。連日にわたる敵爆撃にもかかわらず、敵の攻撃も旺盛で至近距離から攻撃を開始している模様です。その状況が刻々と無線連絡で入手されて、それが飛行隊に届けられるわけです。その頃、騎兵隊の一部が五原救援のために行動を開始していることも承知しておりました。その騎兵隊の前進が遅々として進まず、非常にもどかしく思ったものです。

 いよいよ最後の時がやってきました。