飛行第六聯隊 

【軍歴から】

               年    月  日   任官・昇給     在職年関係その他

  • 昭和10年 2月 2日  生徒         第2期操縦生徒として所澤陸軍飛行学校に入校
  •        12月 1日              熊谷陸軍飛行學校へ転属を命ず
  • 昭和11年11月30日              熊谷陸軍飛行學校卒業
  •        11月30日              飛行第6連隊に配属を命ず
  •        12月 1日              下関港出帆
  •        12月 2日              釜山港上陸
  •        12月 2日              平壌着 着隊
  •        12月 7日  航空兵上等兵
  •        12月 8日              飛行第6連隊にありて航空勤務に従事
  • 昭和12年 6月 1日  航空兵伍長
  •         1月 1日              飛行第6連隊にありて航空勤務に従事
  •         7月15日              動員下令
  •         7月20日              平壌出発
  •         7月20日              鮮満国境通過
  •         7月20日              奉天省奉天着
  •         7月27日              熱河省承徳着
  •         8月22日              承徳出発
  •         8月22日              満支国境山海関通過
  •         8月22日               河北省南苑着
  •        12月 1日  航空兵軍曹
  • 昭和13年 8月 1日              飛行第90戦隊に編入
  • 昭和14年 5月10日  航空兵曹長  
  • 昭和15年 9月15日  曹長         勅令第580号により
  • 昭和16年 1月10日              宇都宮陸軍飛行學校に出向を命ず
  •         1月19日              廣東省黄捕港出帆
  •         1月30日              門司港上陸
  •         2月 1日              宇都宮陸軍飛行學校に入校           
  •         2月 1日              宇都宮陸軍飛行學校教育隊附を命ず
  •         7月21日              鉾田陸軍飛行學校に分遣を命ず
  • 昭和16年  2月 1日              宇都宮陸軍飛行學校にありて、航空勤務に従事
  • 昭和17年12月 1日  准尉         宇都宮陸軍飛行學校附
  •        12月 1日              下館分教所附
  • 昭和17年  1月 3日              宇都宮陸軍飛行學校にありて、航空勤務に従事
  • 昭和18年 8月 1日              下館教育隊附
  • 昭和18年  1月 2日              宇都宮陸軍飛行學校にありて、航空勤務に従事
  • 昭和19年10月10日              熊谷陸軍飛行學校附
  •        10月10日              下館教育隊附
  • 昭和19年  1月 1日              宇都宮陸軍飛行學校・熊谷陸軍飛行学校にありて、航空勤務に従事(航空加算1年6月)
  • 昭和20年 1月25日              第3練習飛行隊に転属を命ず
  •         7月17日              鉾田教導飛行師団附 
  • 昭和20年 1月25日              第3練習飛行隊・鉾田教導飛行師団にありて、大東亜戦争勤務に従事
  •         8月23日              待命
  •         8月24日              予備役編入

 振り返ってみると、私はあまりにも父のことを知らなかったと思う。いわゆる職業軍人であり、陸軍の飛行機乗りであったという程度の理解はあった。次男と私は戦後生まれで、長兄は終戦の前年に生まれたといっても、当然私と同じく軍人の姿の父に覚えはない。だから、物心ついてからの私達のなかの父は、地上勤務の自衛官姿の父であり、退官してからは民間企業の寮の舎監をしている姿であった。職業柄転勤が多かったし、我々兄弟も何回もの転校を余儀なくされた。でもその間、軍隊の位置に近い自衛官の職にあった時でも、戦争中のことがらを懐かしんで話すことはなかった。

 しかし、今は推測できる。話さなかった、いや話せなかった理由が。父にとって戦争は、依然として過去のものにはなりきれていなかったのだ。