第一章 少飛時代

 

【空への憧れと少飛応募】

 

 どこから飛んできたのか、秋晴れの澄み切った空を飛ぶ飛行機の爆音に心は奪われ、その影が見えなくなるまで遠く彼方を眺めて呆然と立ち竦んでいた私であった。青春の憧れというのか、それ以来、「よし、俺は飛行機乗りになるんだ」と心に固く誓った。

 さて、それでは飛行機に乗るための早道としては何があるのか。その方面の知識には疎く、先輩、知人に尋ねてみた。ある方は「先ず志願して、飛行聯隊に入隊することだ」と教えてくださった。たまたま、内地の兄に私の意志を手紙で伝えたところ、「少年飛行兵制度があるので、それに応募してはどうか。操縦の方ではなく、兄としては整備の方を勧める。」との返事を頂いた。

 私は少飛受験を決め、所定の手続きを取り、試験通知のくるのを待った。そして、いよいよ通知が届いた。受験する場所は京城である。実は、私の両親達は朝鮮に移住しており、日本人ではあるが、私は朝鮮生まれの朝鮮育ちである。確か受験地は、大邱、京城、平壌、羅南の四ヶ所ほどだったと記憶している。受験日は、昭和九年九月一日と二日の二日間で、初日が身体検査、二日目が学科試験であった。第一次試験合格者は、十二月の官報に載り、又学校当局より合格通知が発送される事になっていた。

 待望の合格通知が届いた。内容は、『貴殿は第一次試験に合格した。ついては、第二次試験を受験されるか否か返事されたい』。早速、応募する旨の返事を出す。それまでに身元調べがあったことは知っていた。折り返し、第二次試験の通知があった。場所は、所沢陸軍飛行学校である。旅館も指定されており、受験者幾人かが同宿することになるのだが、なるべく同県人同士になるよう配慮されていたことが、田舎者の私にとっては嬉しかった。 父は、非常に喜んでくれた。父も、若ければ飛行機乗りになると言っていたことを思い出す。だが困ったことに、私の叔父だけは絶対反対で、飛行戦即死と結びつけて考えている。私に対し思いとどまるように説得すること再三再四であった。私が頑として応じないので、遂に「お前の家とは、今日限り絶交する」とまで言われてしまった。