二ノ瀬駅 E15
〈二ノ瀬駅〉
駅は集落から一段高い山手にあり、階段で上る。上りホームに丸太小屋のような待合室を持つ可愛らしい駅である。市原から二ノ瀬までは樹々が線路に迫っており、例年紅葉のシーズンにはライトアップされた「もみじのトンネル」を電車が走る。二ノ瀬、貴船口の両駅もライトアップされる。秋ならずとも、車窓から眼にする冬の雪景色、春の新緑も、また気持ちを和ませてくれるように思う。
〈二ノ瀬駅 ライトアップされた樹々の間に満月が〉
駅から見下ろす二ノ瀬の集落。鞍馬川が流れる山間の小さな美しい集落だ。その二ノ瀬も、かつては行楽シーズンとなると集落を抜ける狭い鞍馬街道が混雑し、渋滞を起こすことがしょっちゅうあった。市原からのバイパス道路(二ノ瀬トンネル)が開通したことで混雑は解消され、集落内の街道は生活道路として現在は機能している。二ノ瀬が、街道沿いの二ノ瀬本来の姿を取り戻していくのではないかなと僕は思っている。志賀越え道の途中に在る山中町に二ノ瀬を重ねてしまう。
〈二ノ瀬の集落〉
その二ノ瀬の名称の由来だが、雲ケ畑の市(一)ノ瀬から移った惟喬(これたか)親王が次にこの地でひと月ほど暮らしたことから名付けられたという。
惟喬親王とは、9世紀半ば(平安時代初頭)に文徳天皇の第一皇子であった人物である。 政治的な背景もあり弟との皇位継承に敗れ天皇の位にはつけなかった。その後、山野を流浪する身となり、いろいろな土地にその足跡を残している。近江の国では、自ら考案した轆轤(ろくろ)を使い、杣人(そまびと)たちに木工技術を伝授したとされ、それが各地に広まり、杓子や椀などを作って生業とする木地師(きじし)の誕生となったらしい。だから、山々を渡り歩き、山に生きた彼らは親王を祖と仰ぎ誇りにもしていた。これらの伝承に貴種流離譚のひとつを僕は見るのだがどうだろう。大原、静原、鞍馬とほぼ同じライン上に並んでいる雲ケ畑にも親王を祀る惟喬神社がある。
〈冨士神社〉
もう一つ惟喬親王にまつわる伝承が二ノ瀬にはある。夜泣き峠だ。夜泣き峠は二ノ瀬から雲ケ畑街道の大岩に越す峠で、現在は東海自然歩道の一部にもなっているし、京都一周トレイルのコース上でもある。トレイルコースは、峠のすぐ南で大岩へ下りる道と分かれた向山を越え西賀茂方面に下りるルートとなっている。峠から北の尾根道をとれば、後述する二ノ瀬ユリに合流する。その夜泣き峠の名の由来だが、幼少の惟喬親王が乳母に連れられてこの峠を越える時に夜泣きをしたからだという。乳母は峠に生えていた松の樹皮をはがして枕の下に差し入れたところ泣き止んだので、以来、幼児の夜泣きにはこの松の樹皮を煎じて飲ませれば効き目があるとされた。二ノ瀬駅から少し川を上流に歩いた峠への登り口には、親王の母(紀静子)を祀る冨士神社という小さな社もある。峠へは急坂となるが、小一時間もかからない。
〈夜泣き峠へ 石段から始まる登り口〉
冨士神社にはもうひとつの登り口があって、その山道が二ノ瀬ユリとなる。ユリ道とは、山腹を巻く道を意味している。北方の滝谷峠へと続くその道は、全体としては尾根道でありとても歩きやすい。だからかだろうか、北山を歩くための入門コースともいうべき道となっている。滝谷峠は、峠を谷に沿って下りると貴船神社の奥宮近くに出ることができるし、その昔は貴船を通らずに尾根伝いに芹生峠を経て芹生へ行く道でもあったらしい。それに関連する興味深い記述を、金久昌業著「北山の峠(上)」に見つけた。
『なぜこの二ノ瀬ユリが峠道になっているのか。それは、昔は貴船の街道が通れなかったからである。貴船神社は平安朝の昔から水の神として皇室の尊崇厚く、止雨祈雨の勅願所になっていたので非常な権威があった。それでそういう恐れ多いところを牛馬が通る街道にすることは憚(はばか)れるということで、二ノ瀬ユリが用いられたのである。』
今日、ハイカーや登山者が時折行きかう山道も、その時代にあっては村人たちの大切な生活道路であり、また、峠と峠をつなぎながら旅人や行商人を運ぶ役割を担ったのだ。
〈二ノ瀬ユリの始まり〉
さて、話を二ノ瀬の集落に戻そう。
平成10年(1998年)1月28日、道路を渡った山麓の民家の石垣を補修中に、中から銅銭がこぼれ出たのがきっかけで、大量の銅銭がみつかったことが新聞の記事にも取り上げられた。覚えておられる方もおられるのではないかと思う。四万枚近くの銭が、直径34cmの曲物(まげもの)の容器に入れられていたとのことである。その銭の種類は75種に及び、国産の銭のほか、紀元前の中国の最古銭から唐の時代、北宋の時代(~12世紀)に渡る中国銭があったらしい。これだけ大量の銭が、いつ、どんな理由で埋められたのかはまだ不明である。二ノ瀬出土の銭の数は全国で13位らしいが、各地に多くの出土の事例があるということは、中世に埋銭という行為の流行があった証かもしれない。そのことに触れた村井康彦著「京の古寺 歴史探訪」に面白い記述があったのでその部分を抜き書きしたい。
「発見され、ザックザクと出てきた銭の山―。賢明なる読者はもうお察しのはずだ。あの『花咲爺』の物語は、発見された埋銭の話をもとにして生まれた民話だったのだと。(中略)『花咲爺』は現実にはありえないような奇蹟譚であるが、中世に盛行した埋銭という史実を反映した物語であったのだ。その民話の発祥地が鞍馬の二ノ瀬集落であったら、どんなにか楽しいことだろう…」
わからないから楽しく想像が広がることもある。
〈白龍園〉
二ノ瀬の入り口、叡電の高架をくぐったところに白龍園があり、春と秋に特別公開を行っている。






