二軒茶屋駅 E13

 

〈二軒茶屋駅〉

 

 二軒茶屋というのは通称で、駅は静市市原町に所在している。岩倉幡枝町に至る長代川の流域にある。ということは、鞍馬街道の道筋となる。二軒茶屋で鞍馬街道は上賀茂から緩やかな原峠を越えてきた道と合流する。二軒茶屋の先には篠坂が待っている。だから、鞍馬寺や貴船神社に参詣する旅人の休憩所として茶屋があったことは不思議ではない。一軒は1992年まであったというが、はて、どこにあったのだろうか。

 

〈京都産業大学〉

 

 古来、鞍馬街道はもっぱら幡枝方面からの道がメインだったが、明治中期には上賀茂からの道が整備され取って代わるようになったという。(西村勁一郎著「京都・上賀茂と二つの鞍馬街道」に詳しく書かれている。)その道を西村氏は「西鞍馬街道」と名付けられている。

 やがて原峠の手前に、1965年、京都産業大学が開校する。当初は本(もと)山の山腹に校舎があったが、その後規模を拡大し、山手側だけでなく街道の向い側にも数多くの関連施設が建ち並ぶことになる。その京産大の最寄りの駅が、二軒茶屋駅だ。駅からは大学までのシャトルバスが運行されている。1968年には京都精華大学の前身の京都精華短期大学が開校した。叡電の沿線にあり、時期を近くして開校した二校が、その後に大きな成長を遂げている。何より叡電の電車が喜んでいるのではないだろうか。そうだ、茶山駅近くの京都芸術大学も当然その仲間に入るだろう。

 

〈駅のシャトルバス案内図〉

 

 僕が叡電を毎日のように利用していた1970年代前半の二軒茶屋駅周辺は、東映の資本で住宅建設が始まったころだと思う。比叡平なんかも開発造成が進んでいた。洛西ニュータウンはそのすぐ後ぐらいだったかな。二軒茶屋(静市市原町)南端となる頼光橋あたりの長代川に蛍を見に行った覚えがある。今はどうなのだろうと思いながら町内を歩いていると、写真のような看板を眼にした。「やはり、東映団地と言うんだ。そして、蛍も守られている。」

 

〈橋にあった看板〉

 

 その当時、出町柳発鞍馬行の最終電車は22:02だったと思う。それを逃すと鞍馬線は、30分後の二軒茶屋止まりだけである。貴船口の学生アパートに住んでいた僕は、最終電車に乗り遅れ、二軒茶屋駅から30分ほどかけて歩いて帰ることが何度かあった。駅を下り、街道に出るとすぐに緩く長い坂道が続く。篠坂だ。坂の上部が切通のようになっており、その両側はお寺である。「小町寺」と惠光寺。篠坂を過ぎれば、あとは平たんな道をひたすら歩く。夜の闇は怖くなかったが、怖いのは野犬なんかの獣だった。犬の遠吠えは聞いたが、幸いに闇に光る眼と出くわすことはなかった。

 犬で思い出したが、篠坂近くの山手に捨て犬を引き取って世話してくれた所があったような。但し条件がひとつあって、それはその犬のための小屋を作ることだったと思う。廃材を利用し、友人と犬小屋を作ったことが一度あった。そんなことは大変なことではなく、預けられた何匹もの犬を世話し続けたその方の行為には、今更ながら頭が下がる思いがする。

 

〈小町寺〉

 

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に

 

 百人一首にも選ばれた小野小町の歌である。世界三大美女にも数えられもする小野小町だが、まつわる謎は多い。生没の年も場所も不明であり、全国各地にその伝承、伝説がある。この小町寺にも、写真のような説明書きがあった。説明書きに、先の小町の歌がおのずから重なってしまった。無常・有為転変は世の習い。この地が、彼女にとっての「補陀洛山」だったのであろうか。

 

〈小町寺 説明書き〉

 

〈小町寺 お堂〉

 

〈篠坂 左方向二軒茶屋に〉

 

 篠坂は小さな分水界でもある。周囲の沢の水を集めた長代川は岩倉川と合流し高野川に流れ、篠坂を越えた市原中心部では鞍馬川が西に大きく向きを変え賀茂川へと流れゆく。日本海、太平洋に注ぐ川の分水嶺は、まだまだ北方だ。