(西小川 小ボラグリよりチョボ、そして正面左ボラグリ、右エボシを眺める)
平成にと年号が変わって何年か経ったころだろうか、塾を手伝ってもらっていたH君はかつての同僚であり、かつての遊び仲間でもあった。その遊びは、積み木崩しから釣りに変わっていった。それも、防波堤での釣りから、地磯への釣りと。二人とも、変なこだわりがあって、数ある釣りクラブに属することもせず、船を利用することも潔しとしなかった。ましてや、船頭任せ、魚群探知機に頼る船釣りなどはもってのほかと思っていた。
地形図を手に、山登りさながらのザックに、オキアミのブロックや集魚材を詰め込んでの山越えしての釣行なんて、今は思い出してもゾッとする。荒れる日本海での、用を足すにも難儀する冬場の地磯。波をかぶりながら、ロープを体に繋いでの釣り。波がつくる泡の下に、グレがいると信じていた。少しでも釣りに慣れている者が見かけたら、おそらく苦笑は通り越して、その馬鹿さかげんに怒りの表情を浮かべたに違いない。今にして思うと、無知なる真剣さは、当人たちには歪んだ満足感を与える場合もあるということか。
(西小川 湾内)
学習を積み重ねて、結局は、渡船を利用する磯釣りに落ち着いた。以来、その趣味は継続している。それも、冬季はたまに三重県の錦の磯におもむくものの、大抵は、京都からだと、夜間に車を駆れば、途中でエサ屋に寄ったとしても、たかだか二時間足らずで着くことができる若狭小浜の西小川の磯もっぱらである。磯自体が小さく、だから、1人一磯。それがいい。
エンゼルラインという観光道路の入口手前を右に下りる。西小川は、若狭の多くの漁村がそうであるように、リアス式海岸の入り組んだ湾の最奥部にある。背後には、すぐに山が迫り、村へと下りる道路が土砂崩れでもあったなら、それこそ陸の孤島となる。防波堤と消波ブロックに囲まれた小さな港をもつ、戸数二十軒あるかないかの小さな集落。
半島周りに、「アマミ」「ヒラトコ」「ナガグリ」「タタミ」などと名付けられた数多の地磯があり、地からやや離れて、「カモメ」「ナギナタ」「チョボ」「エボシ」などの、こぢんまりとした磯が点在し、「メカブト」「オカブト」のやや大きな磯に続く。
(小ボラのハナレ 自己最長の53,7㎝のチヌをこの磯で)
(エボシ 右端平らな所が釣座 今は上がるのをためらう)
沖合には、万葉集にも歌われている「沖の石」が離れ磯としてあり、西小川の渡船区となっている。いつしか、それらの光景はすっかり馴染んだものになり、その光景のひとつには、渡船屋の親父さんも加わる。
五右衛門ではないのは確かだが、何某源右衛門だったか、そのいかめしい名前からは覗えないない朴訥さ。破顔すると、歯の欠けた顔が柔和になる。なのに、刺し網の網を巻き上げるときに、ローラーに指がはさまれ、一本ちぎれてしまった。そのちぎれ落ちた指をポケットに入れ、すぐに医者に行けばなんとか繋がるかもしれないのに、渡船の送迎があるからと、止血だけを自分で施し、夕方近くまで操船したという豪胆な逸話も残っている。親父さんの指は、歯と同じように、一本欠けている。
今は代変わりして、息子さんが後を継がれている。
変わらぬ西小川の磯磯の間を、時間が揺蕩(たゆた)っている。
(手前カモメ その先ナガグリ その先左にはヒラトコなどの地磯が)
(右側山沿いに地磯が続く 左手遠くにオカブト、メカブトが見える)





