(青森 三内丸山遺跡)

 

 

⑰(十二月一日)

 

  回想その③

3.「さつき」のこと

 クラスの女子数人が「あれはひどい!」と訴えにきた。経緯はこうだ。前日の掃除で、机を引くときに「さつき」の机が倒れて、はし箱が落ち、中にあったはしが床にこぼれた。掃除の者はそれを手で拾ってやるでなく、ほうきの先で箱に入れた。次の日の昼食時に、そうとは知らぬ「さつき」は、そのはしで弁当を食べた。その様子を、事情を知っている何人かが笑い、笑いの理由をわざわざ他の者にも伝え、伝えられた者の一部は笑い、一部は悲しんだ。当の「さつき」は、何のことかわからず平然としていた。

 「さつき」は学年半ばに転校してきた生徒で、事情があって施設から通学していた。少々だらしないところもあり、勉強も苦手で、ともすれば普段から特異の眼で見られることもあった。

 何が、誰が、どうして悪いのかを、数時間ぶっ通しでクラスで話し合った。安易な、表面的な結論は、ことごとくぼくがぶちこわしたからだ。汚れたはしで弁当を食べる「さつき」を笑うならぼくをも笑えと、ぼくは思わずほうきの先を口に含んだりもした。

 「さつき」はしばらくして、家庭の事情で再び転校していった。「わたしはアホやし…」のさつきの言葉は、今でも切なく胸に残る。

 

   人は、どんなときでも絶対に傍観者にはなりえないのだ、とぼくは思う。

 

 ※三十一年前に卒業した教え子たちの同窓会に呼ばれ参加したことは、以前にも触れた。その席で、ほうきの先を口にしたことを覚えてくれていた元生徒もいた。そのひとつの印象は、ときには背景にある問題の全体像をも浮かび上がらせる力を持つこともあるのではないだろうか。今思い起こしても、その時の行為に演技はなかった。

 

 さて、義務教育最終の学年に、老教師を担任に持ったクラスの諸君は、やがてどんな印象をこの一年間にもつのだろうか。 体育大会が近づくある日の社会科の授業中。とあることで感情を爆発させた僕は、チョーク箱やプリント類をぶちまけ、おまけに椅子を蹴り倒した。「巨人の星」の飛遊馬の父、星一徹や僕の父親がちゃぶ台をひっくり返したのは昔のこと。後味の悪さを引きずりながら、そして一生徒の言葉に思った。僕の行為がもたらしたのは、結果として生徒たちの一部に恐怖感と不信を与えただけかも知れない。そう思い至った僕は、その僕の行為を君たちに謝った。

 もし、君たちの脳裏に中学三年生時の記憶の一つに老教師の理不尽な剣幕が残るなら、自分から言うのもなんだが、併せて、その行動の非を認め「ごめんなさい」と君たちに頭を下げたことも付け加えてほしい。こんな歳になっても、いや年齢に関係なく人は間違いをおかす。ただ、それに気づくかどうか、気づけば「ごめんなさい」とこの先も言える人間でありたい。

 

(十和田湖畔にて)