(青森にて)
⑮(十一月十三日)
回想その①
※何年か前に、生徒が何かを感じてくれればと記した文章だけれど、読み直してみると、多少思い入れが強すぎるなと感じるし、読む者の解釈にも当然是々非々や差異が生じるものとも思う。僕には、今更ながらいろいろな光景や感慨が浮かぶ。未成熟であるが故に彼我の距離を測れず、そこから様々な軋轢(あつれき)や確執が生まれる。でもそれは、なにも子どもに限ったことではないのかもしれない。自己を客観視できる力と自分に向き合う姿勢は、幾つになっても失いたくないものだ。
1.「よっちゃん」のこと (全て仮名です)
あれは、ぼくが小学校にあがる前だから、保育園の年長組だったんだと思う。「よっちゃん」という少し足の不自由な男の子がいた。ある日、ぼくは友だちと一緒になって、こともあろうに「よっちゃん」の足の不自由さをからかい、はやしたてた。それが知られ、園の先生に叱られ、家でも父母にそれまでにはなかった勢いで怒られた。
もう半世紀以上も昔のことで、たいがいのことは記憶のモヤのなかに包まれてしまっているのだが、「よっちゃん」の件だけは今でも心に残っている。「よっちゃん」本当にごめんなさい。元気にいてくれているだろうか。そして、園の先生、父さん母さん、ありがとう。
人はいつも、何かの分岐点に立っているんだ、と思う
⑯(十一月二十七日)
回想その②
2.「ゆうや」のこと
「ゆうや」は乱暴者だと聞いた。短気で、すぐカッとなり、しょっちゅう他の者と衝突する。いわゆるトラブルメーカーだというのだ。それも小学校以来すっとだそうな。
ぼくは彼の担任ではなかったのだけれど、なぜか気になっていた。ある時、ぼくのクラスの生徒が「被害」を受けた。そして、わかった。彼は、いわゆる「アトピー」の症状がきつく、季節によってはその不快感はたまらないらしい。その症状は、顔にも表れていた。だから、小学校の時から、周囲の一部は、彼を、当時あったアニメの名を重ねて、「バーバ」とかあるいは「ババ」と呼んで揶揄した。そう言われて怒る彼の様子が面白くて、いっそう周囲ははやしたてた。
彼は乱暴者なのか?
彼から事を起こすことはなかった。ぼくは、全面的に彼の側に立とうと決めた。そして彼には、何か言われたら、少しだけがまんして、すぐにぼくに連絡することだけを約束させた。ぼくは、一件一件、相手が彼の上級生であっても、彼を説明し理解を求めた。
人は、いろんな形で自分を表現する、あるいは表現せざるをえないのだ、と僕は思う。
(弘前城 と 岩木山遠景)




