(北海道 美瑛)

 

⑦(七月三日)

 昨年のことを思い出す。

ちょうどこの時期に、十五年ぶりの同窓会を開いた。学生時分から京都に住んでいるという理由だけで、なぜか幹事役をしている。

 平均年齢六五の高齢者の域に入らんとする二三名が全国各地より、青春の地、京都に集った。その年齢を縦に並べると、古墳時代までさかのぼる。すごいなと感心し、それを生徒に話したら呆れられた。でも、そんなたわいのない思いから「命」を考えてしまう。みんな頑張ってこの歳まで生きてきたなと思う。頑張って生きてきたというなら、我々の祖先もだ。生徒達に数えさせたことがあるが、いったい十代前の祖先の人数は何人になるだろう。2の10乗だから1024。そのうちの一人でも欠けていれば、今の自分は存在しない。二十代前では100万人を超え、やはり、そのうちの一人でも欠けていれば、今の自分は存在しない。命の繋がりの奇跡を思う。命の大切さを思う。社会科の授業でも触れたが、72年前の7月1日に、予定通り父の特攻機が出撃していたなら、僕は存在していない。

           ※FC2小説:『大空を紅に染め、』に著しています。

 同窓会は、いっ時皆が二十代の輝きを取り返し、「十五年後は人数があまり残っていないだろうから、次回は五年後に開けと」と勝手なことを言いながら、やがて彼らの生活の場に戻っていった。

 

⑧(七月二十日)

 《先日、読み終えた本の中に次のような文章があって、つい書き抜いてしまった。

 『たくさんの喜びと、たくさんの悲しみを知って、それも全部抱えたままで死んでいきたいもんだね。だって、人 間に最後に残るのは、そういうものだけなんだから…』

           朱川湊人(しゅかわみなと)「銀河に口笛」

 人は、できることなら悲しみを避けたい。でもそれは、不可能なことであるし、悲しみがあるからこそ喜びの感慨もいや増すのだとも思う。まさに表裏一体。ならば、悲喜交々(こもごも)丸ごと受け止めよう。それもこれも、自分の人生の軌跡なのだから。生きてきた証(あかし)なのだから。そんなことを思う。

 ただ、小説の中では、画家が主人公の小学生たちに語る言葉となっている。はたして、小学生向けの言葉かは、多少疑問が残るが。朱川湊人(しゅかわみなと)は2005年に「花まんま」で直木賞受賞。中学生にも読める、とっても心に優しく響く小説です。とりわけ、その中の「トカビの夜」という短編が僕は好きだ 。》

 上の文章は、昨年書いたものを再度載せてみた。

 最近のものだと思うが、「私は我の強くない人間である。他の関係にのみ自己を見出している。」のメモ書きがある。やはり何かの本から、僕が抜き書きしたものと思うのだが、それが分からない。

 

(北海道 宗谷岬)