(北海道 納沙布岬)
⑤(五月八日)
子供の時分は、日々の時間の遅々とした進み方にもどかしさを覚えたものだが、年齢が上がるほど、逆に、時間の進む速さはいや増すように感じる。そして、五月の連休も終わり、季節は初夏の兆しだ。
家庭訪問では、ほんの短い時間でしたが、ご挨拶と少しでも心通わせられたなら幸いです。
今日まで、新しいクラスとなっての取組みに加えて、修学旅行の取組み、部活をする者にとっては春体など、本当に慌ただしい毎日を過ごしてきた。来週には修学旅行本番を迎え、帰るとすぐに確認プログラムテストや定期テストと、まだまだ忙しさは続く。
普段の生活の中では、静止して物事を考える時間は多くない。だからこそ、どこかでちょっとだけ立ち止まってほしいなと思う。青空を、夜空を仰いでほしいなと思う。それは自分と向き合うこと。すべての物(人)に対し、謙虚に、そして優しくなれること。生きることに対し、真摯になれること、に繋がるように思うからだ。ふとした瞬間が持てればいいですね。
そんなことを思っている時に眼にしたのが、職員室前にさりげなく置かれていた挿花。何故だか、太秦広隆寺の弥勒菩薩に対峙した時に抱いたような感慨を、その瞬間覚えてしまった。まさにふとした瞬間。
今回のように、季節の花を時折活けてくださっている姿を、今までもお見かけすることはあった。聞けば、卒業生の保護者の御厚意とのこと。今は上手に言葉には表せないけれど、何かとっても大切なものがこの場面に詰まっているように思う。
※※親御さんへのYELL※※
『子供がかわいいだけでいいのは、小さい頃の、ほんの一瞬だけ。あとは、大きくなったら生意気は言うし、言うことは聞かなくなるし、面倒は起こすし、本当に大変よ。かわいいっていう気持ちの何倍も苦しいことがある。もう嫌だ、いなければいいのにって思うことだってあるのよ。でもね、子供って時々、あぁ、この子を産んでよかったなっていうことをするのね。そう思えることがあるのよ。子育ては、その気持ちと大変なことの繰り返し…』
リリー・フランキー「東京タワー」 ーボクとオカン、ときどきオトンー
⑥(五月十二日)
「あはがり」 作詞 朝崎郁恵 奄美民謡から
浮き世…仮島に 何時(いてぃ)がでぃむ 居らりゅむい
情けあれいよ 仮那(かな)
くぬ世ば うさむぃれぃがでぃ
節や水車めぐりあわそう
てぃきぬあはがりし たましゃ
うどぅてぃ
いきしゃん くとぅあてぃむ
天と大地や
てぃきぬあはがりし たましゃ
うどぅてぃ
(意訳)
この世は神様からいただいた仮の世
いつまでとどまって居られましょうか
命を敬い生きていきなさい この世の生をなし終えるまで
時はめぐる 水車のように だからまためぐり会える
月のあかりの下で 人々は喜び魂が踊り明かす
どのようなことがあろうとも 天と大地の間
月のあかりの下で 人々は喜び魂が踊り明かす
録画しても見ているテレビ番組にNHK・BSの「新日本風土記」がある。そのオープニングに流れるのが、上記の朝崎郁恵さんの「あはがり」という曲だ。聞いただけでは、その意味は分からないけど、日本の原風景を彷彿(ほうふつ)させ、魂を揺すぶる曲の調べだ。
今回、修学旅行で沖縄に行くにあたって、あらためて「あはがり」の歌詞の意味を知ろうと思った。てっきり、沖縄の方言の「シマ唄」だと思っていたが、でもそれは、琉球民謡のなかでも、正確には沖縄ではなく奄美民謡であるらしい。
「あはがり」とは、すべてが明るいという意味。意訳から思うのは、活かされている命だから、精一杯生きようではないか、ということ。
(道東を走る)
(北海道 硫黄山)



