(北海道日高 コンブ漁解禁)
2018年の春に、講師として(つまり非正規雇用)長らく勤めていた公立中学の職を辞した。もうこの世界に戻ることはあるまいの気持ちもあって、最後の一年は自分の思いをのせるかのように、かつてないほど学級通信を出した。その中のコラム欄が「爺の繰り言(じじのくりごと)」だった。
もう戻ることはあるまいの世界に、再びどころではなく三たびか、四たびか、フリースクールのようなものを立ち上げる形でまたぞろ足を踏み入れる。その経緯を思うと因果なことだ。
その準備の過程で、娘に手伝ってもらいながらHPを作成したり、このブログを開くことになった。それは、幼児に与えられた玩具。思う存分あそんでやろうと思う。手始めに前述の「爺の繰り言」を記すことで、今の自分がそれをどう読むか試してみたい。
2017年
①(四月六日)
正門の桜は、例年この時期、今は盛りと満開になる。今年の春は遅く、ようやくその花弁を綻(ほころ)ばせ始めた。三月下旬も寒い日が続いた。そのさなかに、大阪南港からフェリーで愛媛に渡った。松山や「しまなみ海道」辺りにバイクを走らせるためであった。剣山と並んで四国を代表する石鎚山も、その山頂は雪に覆われ、冬山の様相を呈していた。
(石鎚山)
あまりにも寒く、大幅に予定を早めて帰路についた。年齢を重ねると、粘りもなくなるのかな。それに前後して、痛ましい事柄が起こった。栃木県那須山での遭難である。
教師に引率された高校生の山岳部員が、雪山訓練中に雪崩に遭い、八名の命が失われた。今も争点になっているのは、新たに雪が降り積もった中で、予定を変更して行ったラッセル訓練が妥当かどうか、果たして雪崩が予見できたかどうかである。軽はずみに論ずるのは避けるが、遠い青春の一時期を山に魅せられた僕にとっては、何よりも彼ら若者の命が絶たれたことが悲しく、悔しい。
②(四月十日)
確か中学生の頃だっただろうから、今となっては随分と昔のことになるが、山本有三の「路傍の石」という小説を読んだ。といっても、当時に読んだ他の本と同様に、その内容のほとんどは記憶にない。ただ、主人公の「吾一」少年が負けん気の強さから、橋脚の枕木にぶら下がり、その上を轟音と共に列車が通過する場面や、その吾一の行為を教師が諭す言葉、後に挫折しそうになる吾一を励ます言葉などだけは妙に頭に残っている。正確にはどうだったのだろうと思い、学校の図書室で本を見つけ出し、件(くだん)の頁を探してみた。
…世界に何億の人間がいるかもしれないが、お前という者は、いいかい愛川。愛川吾一という者は、世界中にたった一人しかいないんだ。どれだけ人間が集まっても、同じ顔の人は、一人もいないと同じように、愛川吾一というものは、この広い世界に、たった一人しかいないんだ。そのたった一人しかいないものが、汽車のやってくる鉄橋にぶらさがるなんて、そんな無茶なことをするってないじゃないか。…人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからの者は、何よりも生きなくてはいけない。自分自身を生かさなくってはいけない。たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。…
…たしかに、いい修業をしたのだ。人間はな、人生という砥石(といし)で、ごしごしこすられなくちゃ、光るようにはならないんだ。『艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にす。』へこたれちゃだめだ。くよくよするんじゃないぞ。…
(北海道 襟裳岬で)



