肉体も思考も自分ではない、
肉体も思考も風景だから
だから一体化しないで、意識的に、観察モードで過ごそう、ということ。
逆に言うと、そういう過ごし方をしているうちに、肉体も思考も自分でないことが腑に落ちて来る。
肉体も思考も自分ではない、
肉体も思考も風景だから
だから一体化しないで、意識的に、観察モードで過ごそう、ということ。
逆に言うと、そういう過ごし方をしているうちに、肉体も思考も自分でないことが腑に落ちて来る。
覚者 や こういう道の人 は、
「好きなことをすればいい」
「生きたいように生きればいい」
と言う。
その通りだと思います。
が、人によっては、エゴが調子づいて本当に好き勝手やってしまうだけだったりします…。。
なので要注意。取り扱い注意。
思考・エゴと一体化している、あるいは、他人の目を気にしている、焦り、周到な計画、不安、
そういったものがある状態で 「自由に生きる」「好きなように生きる」「生きたいように生きる」
というのは、なかなか……。
まあ、そういったものがある状態から起こした行動であっても、
行き着くところにはちゃんと行き着くでしょうから、悪いわけではないですが。
そこから気付くこともあるでしょうし。
ただ、それよりも、日常を意識的に過ごす方が先かな。
エゴや思考を客観的な視点から眺め、一体化しないで過ごす。
そういうのがある程度定着するまでは、日常の中で生きるということでいいと思いますよ。
それでも、上述の 「自由な生き方」 を実践するのだとしたら、
いつもより少しだけ違うこと、ささいなこと、
から始めるにとどめるのがいいのではないかなと思います。
いずれにせよ、エゴから極端・大胆なことは起こさない方がいい。そもそもその必要は全くない。
それまで無意識のうちに続けられてきた「思考との一体化」 が解かれると、
頭が軽くなった感じがします。すっきりした感じというか、重しがとれたような感じ。
身軽になった、といってもいい。
とりあえずは、
そういう観念 (と一体化していたこと) に気付いただけ (=客観的に見ることができた) でOKですね。